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洞爺丸海難事故で社会党の菊川忠雄と冨吉榮二が死亡、1954年9月26日!

洞爺丸海難事故で社会党の菊川忠雄と冨吉榮二が死亡、1954年9月26日!

9月9日未明に千葉県を直撃した令和元年台風15号は、特に千葉県南部に大きな被害をもたらし、9月25日現在でも一部地域で停電が続くなど深刻な状況にあります。

ところで“台風15号”はかつての日本にも大きな被害をもたらしています。1954年9月26日の昭和29年台風15号(「洞爺丸台風」。死者・1,361名・行方不明者400名)と、1959年9月26日の昭和34年台風15号(「伊勢湾台風」。死者4,697名、行方不明者401名、負傷者 38,921名)です。

昭和29年台風15号では函館湾で洞爺丸など5隻の青函連絡船が沈没し、日本最大の海難事故となりました(参考書『青函連絡船洞爺丸転覆の謎』・田中正吾著、交通研究協会発行)。この「洞爺丸事件」では日本社会党(右派)の菊川忠雄(友愛会・総同盟系の労働運動家、衆議院議員)と、同冨吉榮二(農民運動家、衆議院議員、元逓信大臣)も死亡しています。

菊川忠雄(1901.3.1~1954.9.26)は1926(昭和元)年に東京帝国大学卒業後、総同盟に入り、労働運動に生きた活動家です。戦後、右派社会党の政治家(衆議院議員3期)としても活躍し、北海道の遊説からの帰り、洞爺丸事件で死去。享年55歳。妻・君子は洞爺丸事故遺族会の会長を務め、衆議院議員を1期務めています。

冨吉榮二(1899.7.6~1954.9.26)は戦前、農民運動に取り組み、労働農民党の結成に参加。1927(昭和2)年の鹿児島県会議員選挙で初当選。1937年の衆議院選挙で初当選しています。戦後、日本社会党(右派)から衆議院議員に4回当選(通算6期)。芦田連立内閣で逓信大臣を務めています。菊川忠雄とともに北海道の遊説からの帰り、洞爺丸事件で死去。享年55歳。

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