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1948(昭和23)年3月10日の片山内閣終焉から70年!

1948(昭和23)年3月10日の片山内閣終焉から70年!

310日といえば1945(昭和20)年310日の東京(下町)大空襲、311日といえば2011311日の東日本大震災を思い浮かべます。しかし、310日は1948(昭和23)年310日の片山内閣終焉でもあります。

 1947524日に成立した日本社会党首班の片山連立内閣は、戦後の混乱期、食糧難、インフレ、労働攻勢の中で苦闘し、1948210日に総辞職して310日に終焉を迎えます。

 この片山内閣総辞職の直接の契機となったのが、社会党内左派の鈴木茂三郎予算委委員長による予算案否決でした。これは予算委員会の休憩中で与党議員不在の中、鈴木委員長が職権で強行開催し、自由党(当時)や共産党ら野党議員の出席する中、政府予算案を否決したものです。

一般にはこの社会党左派の造反(予算案否決)が、片山内閣総辞職の原因とされます。しかし、後に片山哲首相と西尾末廣官房長官の間で原因を巡り、食い違いが表面化します。1976年に朝日新聞「論壇」で起きた、いわゆる「片山・西尾論争」ですが、ここでは詳細は省きます。

短命に終わった片山内閣に興味と関心のある方は、友愛労働歴史館の企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.56.29)をご覧ください。

 

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