友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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メールレポート「友愛労働歴史館たより」第140号を発信しました、1月25日!

 友愛労働歴史館が情報提供のためインターネット上で発信しているメールレポート「友愛労働歴史館たより」第140号(2019.1.25)を、125日に発信しました。今回のメールレポートの内容は、以下の目次の通りです。

<メールレポート「友愛労働歴史館たより」第140号(2019.1.25)>

1.企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」がスタート、17日!

2.「民社OB会総会・結党60年記念の集い」参加者が当館を見学、119日!

3.友愛労働歴史館の1月の見学団体・見学者!

4.ユニテリアン教会・惟一館の赤レンガ塀の調査が行われる、110日!

「民社OB会総会・結党60年記念の集い」参加者が当歴史館を見学、1月19日!

 1960(昭和35)年124日に結成され、1994(平成6)年129日に解散した民社党。その民社党を偲んで毎年、1月に開催されている民社OB会の平成31年度総会が119日(土)12時から友愛会館で開催されました。

 民社党の前身は1926(大正15)年に結党された社会民衆党(社民党。後に社会大衆党、勤労国民党)で、委員長は安部磯雄、書記長は片山哲。当時の中央労働団体の総同盟が全面支援し、鈴木文治・西尾末広・松岡駒吉らが参加していました。

 戦後は日本社会党(片山哲委員長、西尾末広書記長)の結党を主導し、総同盟(松岡駒吉会長)が全面支援をしていました。1947(昭和22)年に片山哲連立内閣を組織し、片山哲が総理大臣、西尾末広が官房長官、松岡駒吉が衆議院議長を務めました。

 1960年に左傾化した日本社会党を飛び出した旧社民系を中心とする人々が民社党(当時は民主社会党。西尾末広委員長・曾禰益書記長)を結成し、中央労働団体である全労会議(1954年結成)・同盟(1964年結成)が支えました。これは大正15年の社会民衆党・総同盟以来の支持・協力関係を引き継いだものです。

 本年は民社党結党から60年(数え年)であり、これを記念して「民社OB会総会・結党60年記念の集い」が開かれ、全国から約70名の人々が参加しました。

 民社OB会総会に先立ち、友愛労働歴史館研修室で11時から「民社党60年記念展」の解説が行われ、当館の間宮悠紀雄事務局長が報告・説明を行いました(写真参照)。その後、参加者は開催中の企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.706.28)を見学し、社会民衆党から93年、民社党から60年の「勤労国民政党」の一筋の道に想いを馳せていました。

企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」がオープン、7日!

 友愛労働歴史館の2019年上期の企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.706.28)が本日、オープンいたしました。

 民社党(民主社会党)は1960(昭和35)年124日、左傾化した社会党を離脱した旧社民系・旧日労系(一部)グループにより創立されました。民主社会主義を掲げ、勤労者を基軸とする国民政党としてスタートした民社党は、35年の活動を積み重ね、1994年に新党(新進党)移行のため解散しています。

 「民社党」展の構成は「第1部 民社党前史―社会民衆党から日本社会党までの35年」、「第2部 民社党の結党―その理念、組織、政策、活動」、「第3部 民社党の解散―新進党・民主党への合流、民社協会の結成」です。

新しい企画展「民社党結党60年」を開催します、1月7日(月)!

友愛労働歴史館は17日(月)から新しい企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.706.28)を開催します。

民社党(民主社会党)は1960(昭和35)年124日、左傾化した日本社会党を離脱した旧社会民衆党系・旧日本労農党系(一部)グループにより創立されました。民主社会主義を掲げ、勤労者を基軸とする国民政党としてスタートした民社党は、35年の活動を積み重ね、1994年に新党(新進党)移行のため解党しています。

今年は結党から60年(数え年)、解散から25年を迎えます。友愛労働歴史館はこれを記念し、民社協会の後援を受けつつ、企画展「民社党結党60年」(2019.1.76.28)を開催します。同展では民社党の35年の歴史・活動を紹介する中、その前身である社会民衆党(1926年結党)や日本社会党(1945年結党)にも言及しつつ、同党が掲げた勤労国民政党の意味を浮き彫りにします。

「松岡駒吉」展は本21日に閉会、1月7日からは企画展「民社党60年」を開催します!

友愛労働歴史館が開催中の企画展「松岡駒吉―ひとすじに労働者の利益を守った男―」(2018.7.612.21)は本日、閉会しました。期間中にご来館、ご見学いただいた皆様に感謝いたします。

なお、来年17日(月)からは企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.706.28)を開催いたします。民社党(1960.1.24)の前身は1926(大正15)年に結党された社会民衆党(安部磯雄委員長、片山哲書記長)で、友愛会・総同盟系の労働組合とは結党以来の支持・協力関係を維持してきました。企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」をどうぞご覧ください。

企画展「松岡駒吉―ひとすじに労働者の利益を守った男―」は12月21日に閉会!

友愛労働歴史館が開催中の企画展「松岡駒吉―ひとすじに労働者の利益を守った男―」(2018.7.612.21)は、1221日(金)に閉会します。

松岡駒吉は総同盟(友愛会の後身。後の同盟、現在の連合)会長、全繊同盟(現UAゼンセン)会長、衆議院議長などを務めた労働運動家で、「戦前のきわめて困難な時代にただ一筋に現実の労働者の利益を守るために、地道な努力をつづけてきた人物」(『松岡駒吉伝』・昭和38年)とされています。

2018年は松岡駒吉(1888.04.081958.08.14)の生誕130年・没後60年、そして松岡が主導した野田労働争議(千葉県野田市、現在のキッコーマン醤油で昭和23年に起きた労働争議)から90年に当たることから友愛労働歴史館は、今回、企画展「松岡駒吉」展を開催しました。期間中のご来館、ご見学をお願いいたします。

 

労使研が「野田労働争議遺跡ともの知りしょうゆ館」の見学会、12月6日!

友愛労働歴史館の兄弟組織である労使関係研究協会は12月6日(木)、千葉県野田市で「野田労働争議史跡とキッコーマンもの知りしょうゆ館」見学会を開催いたします。

これは友愛労働歴史館が開催中の企画展「松岡駒吉―ひとすじに労働者の利益を守った男―」(2018.7.6~12.21)と連動したもので、今年が野田労働争議(1927.9.15~1928.4.20)から90年となることを記念した企画です。

参加者は労使関係研究協会の団体会員・個人会員で、見学先は野田市郷土博物館、野田市市民会館(旧茂木佐平治邸)、キッコーマンもの知りしょうゆ館(争議団がピケを張った第17工場。当時、最新・最大の工場)などです。

また、野田市市民会館ではミニレクチャー「野田労働争議と松岡駒吉・総同盟」(報告者:間宮悠紀雄 友愛労働歴史館事務局長)が予定されています。

本日はナショナルセンター同盟結成(1964年11月12日)から54年!

 本日(20181112日)は、かつての中央労働団体である同盟(全日本労働総同盟。1964.11.121987.11.19)が結成されてから54年となります。

 同盟が活動していた時代は、総評・同盟・中立労連・新産別のいわゆる「労働4団体」が競合していた時代。この労働4団体は1987年の民間連合、1989年の官民統一連合の結成により組織を解散しました。それ故、今年は民間連合(全日本民間労働組合連合会)結成から31年、官民統一連合(日本労働組合総連合会)から29年。来年の連合結成30周年に向け、連合では様々な記念行事が計画されているようです。

 ところでかつての同盟は、一部の人から「日本で唯一のナショナルセンター」と呼ばれたことがありました。それは日本の中央労働団体で唯一、国際組織(国際自由労連ICFTU、現在の国際労働組合総連合ITUC)に加盟していたことによります。また、この他、同盟は色々な特徴点を持っていました。以下に記載してみます。

 ①友愛会の歴史と伝統を引き継いだ中央労働団体で、「友愛と信義」「人間尊重」「4つの民主主義」を掲げていた、②「4つの民主主義」とは組合民主主義・産業民主主義・政治的民主主義・国際的民主主義のこと、③改革・漸進の立場で国民と共に歩む労働組合をめざし、全体主義・共産主義に反対していた、④中央・地方が一体の全国的な同盟体組織(目的と行動の一致)であった、などです。

 友愛会から同盟までの民主的労働運動の歴史資料館である友愛労働歴史館は、多くの旧同盟資料を所蔵しています。旧同盟資料の閲覧を希望される方は、友愛労働歴史館までご一報ください。

労働資料協2018年度(第33回)定期総会が開かれる、10月23日!

社会・労働関係資料センター連絡協議会(労働資料協)の2018年度(第33回)定期総会が10月23日(火)13:00から、サンピアンかわさき(川崎市立労働会館・川崎市川崎区富士見。写真参照)で開かれ、友愛労働歴史館も参加いたしました。

総会は2017年度活動報告の確認、2018年度の事業活動の確認などを行いました。その後、川崎労福協の成田仁事務局長の報告「川崎市労働資料室・労働学校の歩みと現状」を受け、続いて川崎市労働資料室の見学を行いました。

翌24日(水)は神奈川県立川崎図書館の視察・研修、光触媒ミュージアムの視察、ミツトヨ測定博物館(写真)の視察・研修が行われました。

労働資料協は労働運動や社会運動の資料リユースを行う団体で、大原社会問題研究所・連合資料室・東京都労働資料センター・同志社大学人文科学研究所・大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)、友愛労働歴史館など23の加盟機関と個人会員から構成されています。

社会主義研究会と背教者・片山潜!

社会主義研究会(後の社会主義協会、社会民主党)は1898(明治31)年10月10日頃、ユニテリアン教会・惟一館でユニテリアンの村井知至・佐治実然・神田佐一郎・豊崎善之助・岸本能武太・新原俊秀・片山潜・河上清・高木正義により設立されました(推定)。

社会主義研究会の例会は惟一館で1898(明治31)年10月18日にスタートし、第11回例会(1900年1月28日)まで続きます。9名の設立メンバーの一人片山潜(1859~1933)は、1899(明治32)年3月19日の第5回例会で「フエルヂナンド・ラサールの社会主義」をテーマに報告を行っています。

今日では日本を代表する労働運動家・社会主義者とされる片山潜は、1859年に岡山県で生まれる。1881(明治14)年に岡山師範学校を中退し、上京。その後、アメリカに渡り、苦学して学位を修め、1896(明治29)年に帰国、神田三崎町にキリスト教社会事業の拠点としてキングスレー館を設立したクリスチャンでした。帰国後、片山潜はユニテリアン教会機関誌『六合雑誌』に寄稿を始め、1896(明治29)年5月発行の『六合雑誌』第185号に「米国に於ける社会学の進歩」を寄稿。同188号には「社会学の綱領」が掲載されます。

彼のラサールに関する連載論文「独逸社会共和党の創立者フェルジナンド・ラサル(其一)」が掲載されるのは1896(明治29)年12月の『六合雑誌』第192号。以下、同194号「独逸社会共和党の創立者フェルジナンド・ラサル(其二)」、同195号「同、(其三)」、同196号「フェルジナンド・ラサルの社会主義」、同197号「フェルジナンド・ラサルの社会主義(承前)」、そして『六合雑誌』第198号に「フェルジナンド・ラサルの社会主義(完結)」が掲載されます。

片山潜が社会主義研究会で「フエルヂナンド・ラサールの社会主義」をテーマに報告を行った背景には、『六合雑誌』に発表されたこれらの論文の存在があったのです。

社会主義研究会の頃、クリスチャンとして知られる片山潜ですが、政府の弾圧もあり、1914(大正3)年には日本を離れ、アメリカに亡命。後にロシア革命(1917年)の影響もあって共産主義・マルクス主義に転向します。1921(大正10)年にソ連に渡り、コミンテルンの幹部となり、1933(昭和8)年にモスクワで死去しています。享年73歳。

クリスチャンであった片山潜が、亡命を余儀なくされ、孤独な共産主義者として異国で生涯を終えた(西尾末広著『大衆と共に』)ことに、時代と運命と痛ましさを感じます。しかし、同じ社会主義研究会メンバーで、生涯をキリスト者・学者・政治家として生きた安部磯雄と比較するとき、片山潜は“背教者”に堕落したと言わざるを得ません(写真は岡山県にある片山潜記念館と記念碑)。