友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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ニュース

本日はナショナルセンター同盟結成(1964年11月12日)から54年!

 本日(20181112日)は、かつての中央労働団体である同盟(全日本労働総同盟。1964.11.121987.11.19)が結成されてから54年となります。

 同盟が活動していた時代は、総評・同盟・中立労連・新産別のいわゆる「労働4団体」が競合していた時代。この労働4団体は1987年の民間連合、1989年の官民統一連合の結成により組織を解散しました。それ故、今年は民間連合(全日本民間労働組合連合会)結成から31年、官民統一連合(日本労働組合総連合会)から29年。来年の連合結成30周年に向け、連合では様々な記念行事が計画されているようです。

 ところでかつての同盟は、一部の人から「日本で唯一のナショナルセンター」と呼ばれたことがありました。それは日本の中央労働団体で唯一、国際組織(国際自由労連ICFTU、現在の国際労働組合総連合ITUC)に加盟していたことによります。また、この他、同盟は色々な特徴点を持っていました。以下に記載してみます。

 ①友愛会の歴史と伝統を引き継いだ中央労働団体で、「友愛と信義」「人間尊重」「4つの民主主義」を掲げていた、②「4つの民主主義」とは組合民主主義・産業民主主義・政治的民主主義・国際的民主主義のこと、③改革・漸進の立場で国民と共に歩む労働組合をめざし、全体主義・共産主義に反対していた、④中央・地方が一体の全国的な同盟体組織(目的と行動の一致)であった、などです。

 友愛会から同盟までの民主的労働運動の歴史資料館である友愛労働歴史館は、多くの旧同盟資料を所蔵しています。旧同盟資料の閲覧を希望される方は、友愛労働歴史館までご一報ください。

労働資料協2018年度(第33回)定期総会が開かれる、10月23日!

社会・労働関係資料センター連絡協議会(労働資料協)の2018年度(第33回)定期総会が10月23日(火)13:00から、サンピアンかわさき(川崎市立労働会館・川崎市川崎区富士見。写真参照)で開かれ、友愛労働歴史館も参加いたしました。

総会は2017年度活動報告の確認、2018年度の事業活動の確認などを行いました。その後、川崎労福協の成田仁事務局長の報告「川崎市労働資料室・労働学校の歩みと現状」を受け、続いて川崎市労働資料室の見学を行いました。

翌24日(水)は神奈川県立川崎図書館の視察・研修、光触媒ミュージアムの視察、ミツトヨ測定博物館(写真)の視察・研修が行われました。

労働資料協は労働運動や社会運動の資料リユースを行う団体で、大原社会問題研究所・連合資料室・東京都労働資料センター・同志社大学人文科学研究所・大阪産業労働資料館(エル・ライブラリー)、友愛労働歴史館など23の加盟機関と個人会員から構成されています。

社会主義研究会と背教者・片山潜!

社会主義研究会(後の社会主義協会、社会民主党)は1898(明治31)年10月10日頃、ユニテリアン教会・惟一館でユニテリアンの村井知至・佐治実然・神田佐一郎・豊崎善之助・岸本能武太・新原俊秀・片山潜・河上清・高木正義により設立されました(推定)。

社会主義研究会の例会は惟一館で1898(明治31)年10月18日にスタートし、第11回例会(1900年1月28日)まで続きます。9名の設立メンバーの一人片山潜(1859~1933)は、1899(明治32)年3月19日の第5回例会で「フエルヂナンド・ラサールの社会主義」をテーマに報告を行っています。

今日では日本を代表する労働運動家・社会主義者とされる片山潜は、1859年に岡山県で生まれる。1881(明治14)年に岡山師範学校を中退し、上京。その後、アメリカに渡り、苦学して学位を修め、1896(明治29)年に帰国、神田三崎町にキリスト教社会事業の拠点としてキングスレー館を設立したクリスチャンでした。帰国後、片山潜はユニテリアン教会機関誌『六合雑誌』に寄稿を始め、1896(明治29)年5月発行の『六合雑誌』第185号に「米国に於ける社会学の進歩」を寄稿。同188号には「社会学の綱領」が掲載されます。

彼のラサールに関する連載論文「独逸社会共和党の創立者フェルジナンド・ラサル(其一)」が掲載されるのは1896(明治29)年12月の『六合雑誌』第192号。以下、同194号「独逸社会共和党の創立者フェルジナンド・ラサル(其二)」、同195号「同、(其三)」、同196号「フェルジナンド・ラサルの社会主義」、同197号「フェルジナンド・ラサルの社会主義(承前)」、そして『六合雑誌』第198号に「フェルジナンド・ラサルの社会主義(完結)」が掲載されます。

片山潜が社会主義研究会で「フエルヂナンド・ラサールの社会主義」をテーマに報告を行った背景には、『六合雑誌』に発表されたこれらの論文の存在があったのです。

社会主義研究会の頃、クリスチャンとして知られる片山潜ですが、政府の弾圧もあり、1914(大正3)年には日本を離れ、アメリカに亡命。後にロシア革命(1917年)の影響もあって共産主義・マルクス主義に転向します。1921(大正10)年にソ連に渡り、コミンテルンの幹部となり、1933(昭和8)年にモスクワで死去しています。享年73歳。

クリスチャンであった片山潜が、亡命を余儀なくされ、孤独な共産主義者として異国で生涯を終えた(西尾末広著『大衆と共に』)ことに、時代と運命と痛ましさを感じます。しかし、同じ社会主義研究会メンバーで、生涯をキリスト者・学者・政治家として生きた安部磯雄と比較するとき、片山潜は“背教者”に堕落したと言わざるを得ません(写真は岡山県にある片山潜記念館と記念碑)。

社会主義研究会(後の社会民主党)結成(1898.10.10)から120年!

 今から120年前の1898(明治31)年1010日(推定)、東京・芝のユニテリアン教会・惟一館で「社会主義研究を目的としたわが国最初の研究会」となる社会主義研究会が創立されました。メンバーの多くはユニテリアン協会(米国ユニテリアン協会が設立。キリスト教の一派)のクリスチャンで、村井知至・安部磯雄・片山潜・岸本能武太らがいました。会長には村井知至(同志社卒。牧師)が就任しています。社会主義研究会は1900(明治33)年に社会主義協会と改称し、さらに1901(明治34)年にわが国最初の社会主義政党・社会民主党へと発展しています(結党不許可)。

 『社会主義の誕生―社会民主党100年』(「社会民主党百年」資料刊行会。2001年刊行)は、「社会主義研究会の結成」の中で「村井は、以上の佐治実然・神田佐一郎・豊崎善之助・岸本能武太・新原俊秀・片山潜・河上清・高木正義に社会主義研究会設立の目的を説明し、会員としての参加を勧誘、賛同のもとに、おそらく1010日前後に惟一館で9名が出席し会合したものと推論できる」と記述しています。

 従来、社会主義研究会の代表的メンバーとして片山潜(クリスチャン、後のコミンテルン幹部)や幸徳秋水(無政府主義者、大逆事件で処刑される)の名前が挙げられるため、キリスト教色が薄らいでいるようです。しかし、社会主義研究会は「ユニテリアンの村井知至と安部磯雄が設立を協議」し、ユニテリアン教会・惟一館で設立され、最初のメンバーは全員がユニテリアン協会のキリスト教徒でしたから、その設立は「ユニテリアン・ミッション」の一つと言えましょう。

村井知至と安部磯雄は「社会主義は基督教の経済的方面であり、基督教は社会主義の倫理的方面であるというキリスト教社会主義思想の持主」(前掲書)だったのです。社会主義研究会は1898年10月18日に第1回例会を開き、1900年1月28日に第11回例会を開いた後、社会主義協会に改称しています。

 

西田了氏(劇作家・舞台演出家)が逝去されました、8月4日!

さる84日、旧同盟系文化団体の全文協(全国文化運動協会)や全文協劇団こだま、劇団あすなろ(現在は劇団アルファー)などで活躍された劇作家・舞台演出家の西田了(本名:須賀了輔)氏が病のため逝去されました。享年83歳。

西田先生は民主的労働運動の文化・レクリエーション活動でも大きな役割を果たしました。全文協(19551996)は昭和30年に結成された文化団体で、全労会議(1954年結成の中央労働団体)や同盟(1964年結成の中央労働団体。現在の連合)の文化運動、レクリエーション活動、演劇活動などを担っていました。全文協は「人格の成長、文化の振興、共同社会の建設」を掲げ、その関係者には蝋山政道、磯村英一、野呂信次郎、江上照彦らがいました。

西田先生は全文協の文化リーダー研修会の講師として活躍され、また全文協機関誌『クリエイト』の原稿執筆や編集でも活躍されました。さらに全国台の講演活動・研修活動に取り組み、民主的労働運動の文化・レクリーダーの養成に尽力されたのです。

友愛労働歴史館は2016年に全文協解散20年を記念し、企画展「全文協結成から60年、その今日的意義を探る」(2015.12.072016.05.31)を開催。その企画・展示・開催に全面的に協力していただいたのが、西田了先生でした。

また、西田先生は同企画展を記念し、20165月に開催した講演会「全文協に見る演劇活動、文化・レク活動」(2016.5.13)では、「全文協劇団こだま―その活動とめざしたもの―」をテーマに講演を行っています。その講演レジュメの一部を掲載し、西田了先生のご冥福をお祈りいたします。

               

和田耕作(民社党代議士)の資料の寄贈を受けました!

友愛労働歴史館はこの程、旧民社党関係者より和田耕作(1907.1.182006.7.4)関連資料の寄贈を受けました。和田耕作(政治家、民社党衆議院議員)は高知県出身で、京都帝大卒。1934(昭和9)年に南満州鉄道に入社、調査部勤務。1941(昭和16)年の企画院事件で逮捕されています。その後、軍隊に召集され、敗戦を満州で迎え、ソ連に5年間抑留されています。

戦後、日本フェビアン協会事務局長を務め、1960(昭和35)年に民主社会主義研究会議(現政策研究フォーラム)を創設して事務局長に就任。同年の民社党結党にも参加し、1967年の衆議院選挙に民社党公認で旧東京4区から立候補し、初当選。以後、連続当選6回を果たし、1983年に政界を引退しています。200674日、病のため死去。享年99歳。

友愛労働歴史館・ホテル三田会館、東京タワー、増上寺、芝大神宮!

 友愛労働歴史館がある友愛会館(旧ユニテリアン教会・惟一館)の住所は、東京都港区芝2-20-12。昔の住所は東京市芝区三田四国2-6で、幕末には薩摩屋敷があった所として知られています。

 東京のシンボル、東京タワーも近くにあり、そばに広がる芝公園は1873(明治6)年に誕生した日本で最も古い公園の一つです。825日付けの日経新聞「今昔まち話」は、「芝公園(東京・港) 都会と自然、歴史が共存」と紹介。また、芝丸山古墳も「都内最大級の前方後円墳」と解説しています。

 近くに芝増上寺、芝大神宮があり、また「世界最大の古本の街・神保町」には地下鉄一本で行ける近さです。このロケーションの良さがホテル三田会館の売りで、ビジネスホテルとして2012(友愛会創立100年)に新装オープンして以来、多くの皆様に利用されています(写真は友愛会館屋上から見た芝増上寺)。

 ホテル三田会館は最近、観光の拠点としても利用されています。ぜひ一度、ご利用ください。友愛労働歴史館の運営費用は、ホテル三田会館の収益により賄われています。

 

キャロライン・マクドナルドと松岡駒吉!

友愛労働歴史館が開催中の企画展「松岡駒吉―ひとすじに労働者の利益を守った男―」(2018.7.6~12.21)の主人公松岡駒吉は、労働運動家・政治家として知られている。しかし、クリスチャンとしての側面や日本YWCAの創立者キャロライン・マクドナルド(一八七四~一九三一)との交流は、余り知られていない。

キャロライン・マクドナルドの評伝『東京の白い天使―女性宣教師キャロライン・マクドナルド』(M・プラング著、鳥海百合子訳。教文館。1998年刊行)によれば、マクドナルドは一九〇四(明治37)年に来日し、親隣館(東京港区)を拠点に宣教師として活躍する。

当時の日本は労働運動非合法の時代で、正当な労働争議でも逮捕され、収監される労働者・活動家が数多くいた。マクドナルドはこのような刑務所帰りの人たちの社会復帰を助ける活動にも取り組んでおり、そこで松岡や総同盟の活動家との関係が生まれていた。一九二一(大正10)年初秋、松岡駒吉は親隣館にキャロライン・マクドナルドを訪ね、「刑務所に入っている組合の指導者たちの福祉」について話し合ったことから、二人の間に「尊敬と友情」が芽生えた。一時、キリスト教から離れていた松岡駒吉は、マクドナルド女史の親隣館に毎週のように通い、英語と聖書の集会に参加した。

松岡との友情から労働運動、総同盟との深い関係が生れたC・マクドナルドは、一九二七(昭和2)年の野田醤油争議のときには現地に駆け付け、争議団員を前に激励演説を行っている。また、松岡駒吉が一九二九(昭和4)年、ILO総会に日本労働代表として参加した時には、マクドナルド女史は全行程に同行し、通訳として松岡を支えている。一九三一年、帰国したマクドナルドが死去したとき、松岡は長文の弔辞を贈っている。

松岡駒吉(総同盟会長、全繊同盟会長)の没後60年、8月14日!

総同盟会長、全繊同盟会長、衆議院議長などを務めた労働運動家・松岡駒吉(1888.04.081958.08.14)は、60年前の1958(昭和33)年814日に逝去しています。このため今日は松岡駒吉没後60年であり、また本年は松岡の生誕130年、そして彼が主導した野田醤油争議(19271928)から90年の節目の年でもあります。

友愛労働歴史館はこれを記念し、企画展「松岡駒吉―戦前期、ひとすじに労働者の利益を守った男―」(2018.7.612.21)を開催していますが、それは松岡駒吉の3つのメッセージを紹介する展示です。

松岡駒吉は、「戦前のきわめて困難な時代にただ一筋に現実の労働者の利益を守るために、地道な努力をつづけてきた人物」(『松岡駒吉伝』)とされ、彼のメッセージは①「産業人論」、②「健全なる労働組合主義」、③「現実主義労働運動」として今日に伝えられています。詳しくは当館企画展「松岡駒吉―ひとすじに労働者の利益を守った男―」をご覧ください。

友愛会創立記念労働講座「松岡駒吉と野田争議」を開催、8月1日!

友愛会創立を記念する会(高木剛会長)は81日正午、友愛会館9階大会議室において友愛会創立106周年を記念した友愛会創立記念パーティーを開催しました。

これに先立ち友愛労働歴史館は、同日1030~より友愛会創立記労働講座「松岡駒吉と野田争議を通して、21世紀の働き方について考える」を開催しました。講師は2012年に『ぼくたちの野田争議―忘れられた労働運動家・松岡駒吉と野田労働者争議』を出版された編集者、郷土史家の石井一彦氏。

石井一彦氏はレジュメ(下記参照)に基づき、パワーポイントを活用しつつ講演を行いました(詳細は略)。

「松岡駒吉と野田争議を通して、21世紀の働き方について考える 」 郷土史家 石井 一彦

1.歴史を学ぶ目的

2.松岡駒吉との出会いについて

3.『ぼくたちの野田争議』出版に至るまで

4.友愛労働歴史館を訪ねて

5.争議発生までの野田醤油の歩み

6.「野田醤油争議とその教訓」さらに、その先へ

7.自己実現、動機付け理論への懐疑

8.時代を越えて輝きを放つリアリスト松岡駒吉の思想