友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

講演会「片山哲―民主化のリーダー」のご案内、5月24日(木)14:00~

 友愛労働歴史館は5月24日(木)、歴史館研修室において公開講演会「片山哲・日本民主化のリーダー」を開催いたします。講師は尚美学園大学名誉教授の梅澤昇平氏です(写真は2016年12月の講演会)。

現在、友愛労働歴史館は企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.5~6.29)を開催中ですが、今回の講演会はこの企画展と連動させたものです。

日本は1945(昭和20)年に敗戦を迎え、連合国軍最高司令部GHQの下で民主化が行われ、日本国憲法が制定されます。この新憲法下に行われた最初の総選挙で第一党となった日本社会党が主導した連立政権が片山内閣(1947.5.24~1948.3.10)であり、それを率いたのが片山哲(1887.07.28~1978.05.30)です。

彼は戦後の混乱期、食糧危機やインフレ、労働攻勢などに直面する中、片山内閣を率いて日本の戦後の民主化のために全力を傾けます。

今回の講演会では梅澤昇平氏をお招きし、「片山哲・日本民主化のリーダー、現代に受け継ぐものは何か」というテーマで、クリスチャン、弁護士、政治家として生きた片山哲を中心にお話しをいただきます。参加希望者は友愛労働歴史館までEメールで申し込んでください。

1.と き:2018年5月24日(木)14:00~16:00

2.ところ:友愛労働歴史館・研修室(友愛会館8階)

3.テーマ:「片山哲・民主化のリーダー、現代に受け継ぐものは何か」

4.報告者:梅澤 昇平  氏 尚美学園大学名誉教授究員

5.申込み:友愛労働歴史館 Eメール yuairodorekishikan@rodokaikan.org

阿部静枝の歌集『地中』(昭和43年)出版から50年!

今日、2018年5月15日は、阿部静枝の歌集『地中』(昭和43年・短歌研究社)が発行されてから50年となります。

「ポトナム」同人として知られる歌人・阿部静枝(1899~1974)は、また当歴史館のゆかりの人であり、当館展示室には阿部静枝の肖像画が飾られています。

それは歌人・阿部静枝としてではなく、「歌人・評論家・社会運動家として、一筋の道を生きた阿部静枝」として顕彰しているのです。

昭和初期、阿部静枝は社会民衆党の婦人活動家として赤松常子(労働運動家・参議院議員)や赤松明子(吉野作造次女)らとともに、婦人解放運動に取り組んだ社会運動家として知られています。

阿部静枝は戦後、歌人として活動する一方、民社党の豊島区議としても活躍しています。社会運動家・阿部静枝に関心のある方は、一度、友愛労働歴史館をご見学ください。

ユニテリアン教会・惟一館の標語「至誠・正義・雍穆」、その意味は?

米国ユニテリアン協会が明治27年3月、東京・芝に建設したユニテリアン教会・惟一館(現・友愛会館)。その講堂に飾られていたのが標語「至誠・正義・雍穆」です。「標語」とは、「主義・主張・信条などを簡明に言い表した短い語句」(広辞苑)。それ故、惟一館のこの標語「至誠・正義・雍穆」は、ユニテリアン教会の主義であり、主張であり、信条である、大切な言葉です。

ここで「至誠」は「この上なく正しい・こと(さま)」(スーパー大辞林)とか、「この上もなく正しいこと」(広辞苑)と説明されています。また、「正義」は、「正しい道義。人が従うべき正しい道理」(スーパー大辞林)とか、「正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道」(広辞苑)などと解説されています。

しかし、「雍穆(ようぼく)」は、分かりにくく、難しい言葉です。普通の国語辞書には、まず記述・説明がありません。やや大きな漢和辞典に、ようやく「仲睦まじい」などと解説されています。

明治27年当時とはいえユニテリアン教会は、なぜこのような難しい言葉を掲げたのでしょうか。考えられるのは当時のユニテリアン教会の責任者、クレイ・マッコーレイ牧師にこのような言葉を教えた人物がいたのでしょう。考えられるのはユニテリアン教会献堂式に祝辞を寄せた福澤諭吉、横井時雄、久米邦武、中西牛郎の何れか、もしくは「惟一館」を揮毫した副島種臣伯爵でしょうか。一体、誰か。興味は尽きません。

労働者の祭典メーデー 5月1日!

今日51日は労働者の祭典、メーデーです。メーデーは広辞苑によれば「1886年、アメリカ労働者の8時間労働制要求の示威運動が期限」とされています。日本では1920(大正9)年5月2日(日)、友愛会・総同盟系労働組合を中心に、東京・上野公園で開催されています(写真は大正12年・大阪でのメーデー。西尾安裕氏提供)。詳しくは連合(日本労働組合総連合会)HPをご覧ください。

今年の連合第89回メーデー中央大会は4月28日(土)、東京・代々木公園で「働く者のための働き方改革」をスローガンに開かれ、約4万人(主催者発表)が参加した、とされています。なお、連合は「メーデー近代化」を掲げ、メーデーを毎年4月末土曜日に開催しています。

NHK高校講座「日本史」に記述された友愛会の意味、それは「労働者の人格承認の要求」!

 1912(大正元)年に鈴木文治らが創立した友愛会は、日本労働運動の源流とされ、現在の連合(日本労働組合総連合会)へと発展しています。

 このため友愛会は今日、多くの教科書や辞書に掲載・紹介されています。しかし、限られた字数・行数の中、事実だけの簡潔な紹介に止まることが多いようです。また、岩波書店「広辞苑」のように友愛会は、「初めは共済・修養機関の色彩が強かった」と説明されることが一般的です。しかし、このような記述・解説は、友愛会の意味や理念について誤解を招く嫌いもあります。

 このような中、NHK高校講座「日本史」(2006年)は、「37 大正期の社会」の「友愛会の結成」(同書80頁)で、以下のように記述しています。これは友愛会の意味が「労働者の人格承認の要求」にあったと喝破しており、注目される記述です。

 「明治から大正に改元された直後の1912(大正元)年81日、キリスト教の伝道にあたりながら社会問題に関心を寄せていた鈴木文治は、のちに日本の労働組合運動の中核となる友愛会をわずか15人の参会者で立ち上げた。

 当時、労働者が「一般社会」から「職工風情」と蔑まれ、「社会の最下等動物」のごとく見なされていたことに対し、労働を国家や文明を支える「神聖」なものとしたうえで、労働者自身の「相愛扶助」「識見の開発、徳性の涵養、技術の進歩」「地位の改善」によって差別と偏見を取り除いていこうとしたのである。それは、工場主や資本家に対して、同じ人間であることを認めてもらいたいという人格承認の願いでもあった。友愛会は結成から4年余で会員数が2万人に達し、人格承認の要求がいかに多くの働く人びとの心をとらえていたかがわかる。お互いに対等・平等な人間として認めあうことの大切さに、人びとは気づき始めていたのである。」NHK高校講座「日本史」(2006年)・「37 大正期の社会」・「友愛会の結成」)

 

友愛会館のツツジを楽しむ会が開かれました、4月23日~25日!

友愛労働歴史館が入居している友愛会館(旧ユニテリアン教会・惟一館)の屋上にはツツジが植栽されており、毎年、期間限定で開放されています。今年の「ツツジを楽しむ会」は、4月23日(月)~25日(水)12:10~13:10で行われました。

友愛会館屋上から都心方向を見ると屋上のツツジ越しに東京タワーや芝増上寺が見え、反対側に目を転じれば東京湾に架かるレインボーブリッジ(写真参照)などを見ることができます。

片山内閣を支えた学者・政治家、波多野鼎農林大臣!

1947(昭和22)年に組閣された日本社会党中心の片山連立内閣、その片山内閣を支えた人々の中に3名の学者・政治家がいます。農林大臣を務めた波多野鼎(18961976年)は、愛知県生まれ。1920年に東京帝国大学法学部を卒業し、満鉄東亜経済調査局に勤務。在学中、東大新人会メンバーで、社会思想社同人となっています。1

 1922年に同志社大学教授となり、大阪労働学校の教師を務め、西尾末廣らと交流。1930年に九州大学法学部助教授、同教授を務めており、教え子の一人に重枝琢巳(元同盟書記長)がいます。

 波多野鼎は戦後の1946年、九州経済調査協会を創立し、会長になります。翌47年に福岡選挙区で参議院議員に当選し、片山内閣では平野力三罷免後の農林大臣に就任。その後、中央大学教授、社会党中央執行委員、参議院予算委員長などを務め、1951年に民主社会主義連盟(後の民主社会主義研究会議、現在の政策研究フォーラム)の創立に参加し、事務局長に就任しています。1960年の民社党結党にも参画しています。

 また、波多野は1953年に中京大教授を務める傍ら名古屋で中部経済研究会、労働文化研究所を創立し、労働運動の民主化、民主的労使関係の確立に大きな役割を果たしています。例えば彼は労働組合幹部や経営者を対象に講演活動を行っており、その活動の一端を『波多野先生を偲ぶ』(神崎製紙株式会社。1977年刊行)で見ることができます。

 波多野鼎が1976年に死去した時、民主社会主義研究会議(民社研)は月刊誌『改革者』(昭和5112月号)で特集「追悼・波多野鼎先生」を組んでいます。重枝琢巳元同盟書記長は「恩師波多野先生を悼む」の中で、「王子製紙の大争議を契機として、日本の新しい時代を築くために、労働運動の民主化、民主的労使関係の確立という大事業に挺身」したと記し、さらに「労働文化研究所を名古屋に創設され、労働運動、労使関係の民主化に大きな貢献を続けられた」と述べています。

片山内閣を支えた学者兼政治家の森戸辰男文部大臣!

 1947(昭和22)年に組閣された日本社会党中心の片山連立内閣。この片山内閣を支えた3名の学者・大臣の一人に、森戸辰男(文部大臣、学者、教育者、文化功労者、衆議院議員)がいます。

片山内閣で文部大臣を務めた森戸辰男(1888.12.231984.5.28)は、広島県福山市生まれ。東京帝国大学を卒業後、東京帝大経済学科助教授。1920(大正9)年の「森戸事件」で有罪となり、出獄後、大原社会問題研究所に勤務。大阪労働学校、神戸労働者学校に関わり、大阪で活躍していた西尾末廣(友愛会・総同盟の活動家。後に政治家、片山内閣の官房長官)らと親しくしています。

 1945年に日本社会党へ参加し、1946年の衆議院選挙で当選。片山内閣・芦田内閣で、文部大臣を務めています。森戸辰男は1949年の社会党再建大会で起きた「森戸・稲村論争」の当事者で、本論争は右派を代表する森戸辰男の国民政党論と、左派の稲村順三の階級政党論が激突したものです。

 森戸辰男は1950年に政界を去り、広島大学初代学長に就任。その後、中央教育審議会会長などを歴任しています。

 

4月8日は松岡駒吉生誕130年記念日、7月から企画展「松岡駒吉」を開催します!

 4月8日は、総同盟会長、全繊同盟会長、衆議院議長などを務めたクリスチャン松岡駒吉の生誕130年記念日、そして8月14日が松岡の没後60年記念日です。このため友愛労働歴史館は松岡駒吉の生誕130年・没後60年を記念し、企画展「松岡駒吉一戦前期、一筋に労働者の利益を守った男―」(2018.7.612.21)を7月6日(金)より開催します。

 同企画展では松岡駒吉の70年の生涯を紹介するとともに、労働者の利益を守るために彼が実践した現実主義労働運動について解説します。彼は「戦前のきわめて困難な時代にただ一筋に現実の労働者の利益を守るために、地道な努力をつづけてきた人物」(『松岡駒吉伝』)とされています。また、今年は松岡駒吉が主導した日本労働運動史に残る野田醤油争議から90年に当たります。

 企画展「松岡駒吉」は、①松岡駒吉の生涯―188848日~1958814日―、②野田醤油争議とその教訓―野田争議から90年―、③労働者の利益を守る現実主義労働運動の実践、の三部構成です。

 

ゴールデンウイークのお泊りは「せごどん」の地、ホテル三田会館!

 友愛労働歴史館は友愛会系労働組合の歴史資料館として、友愛会創立100周年の201281日に新装オープンしました。当歴史館があるこの場所(旧三田四国町)は、いまNHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」で注目されている旧薩摩藩上屋敷跡です。

 友愛労働歴史館がある友愛会館の前身は、明治27年のユニテリアン教会・惟一館(J・コンドル設計)で、米国からユニテリアンを招聘したのは慶応義塾の福澤諭吉らです。後にこの地で友愛会(現在の連合)や社会主義研究会(後の社会民主党)が創立され、ここは日本労働運動発祥の地、そして日本社会主義運動発祥の地とされています。

 友愛労働歴史館はオープン以来、多くの人に利用されてきました。この友愛労働歴史館の運営を資金面で支えているのが、ホテル三田会館(友愛会館2階~7階にあるシングル中心のビジネスホテル)です。

 428日(土)からのゴールデンウイークは、ホテル三田会館に泊まり、友愛労働歴史館を見学してください。また、近くには芝増上寺や芝大神宮などの有名な観光スポットもあります。インターネットで「ホテル三田会館」(東京都港区芝2-20-12)と検索してください。