友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

「幸せは春の桜に秋の月 家族達者で三度食う飯」が労働組合の目的!

現在の日本社会では失業、貧困、格差、不平等、長時間労働、違反残業・サービス残業、セクハラ・パワハラなどの課題が沢山あります。労働組合が頑張らなければいけないのに、どうも存在感は希薄なようです。それでも春の賃上げの季節になると労働組合のことが多少、マスコミを賑わします。

では労働組合は何をめざしているのでしょうか。労働組合法第2条は労働組合について、「労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他の経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう」と定義しています。

労働組合の難しい定義は別として、もっと簡明に「労働組合は幸せづくりの団体」と考えると、労働組合の目的・役割は次の古歌に表現できます。

「幸せは春の桜に秋の月 家族達者で三度食う飯」

労働組合はまず組合員・家族が三度の飯を食べられるように、より良い労働条件の実現をめざします。また、家族全員が元気に健康で食卓を囲むことができるように、時短や休日増に取り組みます。そして春の桜や秋の月を楽しめるように、休暇や休日の確保に努めます。「幸せづくりの団体」である労働組合が、まず組合員の労働条件の維持・向上をめざすのはこのためです。

企画展「日本のメーデー100年―自由と団結の旗のもと―」がオープン、1月6日!

友愛労働歴史館の新しい企画展「日本のメーデー100年―自由と団結の旗のもと―」(2020.1.6~6.30)が1月6日(月)にオープンいたしました。

日本で最初のメーデーが挙行されたのは非合法下の1920(大正9)年5月2日。友愛会を中心とする労働組合により東京・上野公園で開催され、約1万人が参加しました。その後、中断はありましたが、本年で100年となります。

本企画展「日本のメーデー100年」は第1部「メーデー前史(なぜMAY DAY?)」、第2部「戦前のメーデー 非合法化で団結」、第3部「戦後のメーデー、その変遷をたどる」で構成されています。期間中のご来館、ご見学をお願いいたします。

本年はお世話になりました。2020年も友愛労働歴史館をよろしくお願いいたします!

友愛労働歴史館は本28日(土)、すべての業務を終えて年末年始休館に入ります。今年一年のご支援、ありがとうございました。2020年も友愛労働歴史館をどうぞよろしくお願いいたします。

当歴史館の主な活動は展示会(企画展・常設展)であり、2019年上期の企画展は民社党結党60年を記念したて企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)を開催しました。民社党は大正15年結党の社会民衆党(安部磯雄・片山哲ら)を源流とし、その流れは戦後の日本社会党右派(片山哲・西尾末廣ら)から民社党(西尾末廣・曾禰益ら)を経て、現在の国民民主党に引き継がれています。

同下期の企画展は協調会結成100年を記念し、企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催しました。協調会は戦前期に社会問題の調査研究、政策提言などを行ったシンクタンクであり、現在の法政大学社会学部と産業能率大学の前身。企画展では特に初期(大正8年~昭和6年)の協調会を主導した渋沢栄一にスポットを当て、渋沢栄一・協調会と鈴木文治・友愛会の関係を模索しました。

常設展「日本労働運動の100年余―友愛会・総同盟を中心とするー」(2013.03.18~)は、2013年のオープン以来、テーマも構成も大きな変更はありません。しかし、必要なメンテナンスや展示資料の入れ替えなどを随時、行っています。常設展「日本労働運動の100年余」の狙いは「共済・修養機関」(広辞苑)と揶揄される初期の友愛会に光を当て、友愛会は「友愛的・人格向上的組合主義」(米ロバート・F・ホクシー)の労働組合であることを解説しています。友愛組合は「組合員、労働者の人格の向上を目的とする組合」であり、それは現在の一部の労働組合(例えばUAゼンセンの2012年綱領参照)に引き継がれています。

2020年上期は企画展「日本のメーデー100年―自由と団結の旗のもと―」(2020.1.6~6.30)を開催いたします。ご来館、ご見学いただければ幸いです。

企画展「協調会結成100年」が閉会、1月6日から新企画展「日本のメーデー100年―自由と団結の旗のもと―」を開催!

友愛労働歴史館が7月4日(木)から開催していた企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」は、本24日に閉会いたしました。ご来館、ご見学に感謝いたします。

2020年1月6日からは新しい企画展「日本のメーデー100年―自由と団結の旗のもと―」(2020.1.6~6.30)を開催します。

日本で最初のメーデーが挙行されたのは1920(大正9)年5月2日、東京・上野公園で友愛会を中心とする約1万人余の労働者が参加し開かれました。1936(昭和11)年に起きた2.26事件を契機にメーデー集会は禁止され、1940(昭和15)年には全ての労働組合が解散に追い込まれ戦前期労働運動を終わります。戦後、1946(昭和21)年5月1日にメーデーは復活し、2020年で100年を迎えます。

企画展「メーデー100年」は、第1部「メーデー前史(なぜMAY DAY?)、第2部「戦前のメーデー 非合法下の団結 1920年5月2日~1936年5月1日」、そして第3部「戦後のメーデー その変遷をたどる 1946年5月1日~」の三部構成となっています。

企画展「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」は12月24日(火)に閉会します!

友愛労働歴史館は現在、企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催中ですが、本展は一週間後の12月24日(火)に閉会します。

この企画展「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」は2年前、3つの問題意識からスタートしました。第一点は「日本資本主義の父」渋沢栄一と「日本労働運動の父」鈴木文治はどのようにして出会い、そして別れたのか、二点目は協調会には悪しきイメージ(GHQにより解散させられている、労資協調を連想させるなど)があるが本当にそうなのか、三点目は渋沢と鈴木という立場も利害も年齢も異なる二人には何か共有するものがあったのではないか、という点でした。

3つの問題意識の答えは企画展の展示物・解説パネルの中にあります。渋沢栄一や鈴木文治、協調会に興味と関心のある方は、ぜひご来館いただければと思います。

なお、展示室に置き、お持ち帰りの資料としている「友愛労働歴史館・企画展『協調会結成100』の解説」を掲載いたします。また、希望者にはEメール添付で送付いたしますので、友愛労働歴史館までご連絡ください。

社会民衆党の結党から93年、大正15年12月5日!

大正15(1926)年12月5日は、第一回普選を前に友愛会・総同盟ゆかりの人々が主導して結党した社会民衆党の創立93年です。社会民衆党は委員長に安部磯雄、書記長に片山哲を配し、総同盟の鈴木文治・松岡駒吉・西尾末廣らも参加した無産政党です。無産政党であり労働者基軸政党ですが、自らを勤労国民政党と規定していました。

この頃、無産3政党が誕生し、総同盟が支援した社会民衆党(社民党と略称。安部磯雄、片山哲、鈴木文治ら)は右派とされました。総同盟から分離した組合同盟が支援したのが中間派の日本労農党(日労党と略称。麻生久、三輪寿壮、河上丈太郎ら)、そして評議会系が支えたのが左派の労働農民党(労農党と略称。大山郁夫ら)で、三党が鼎立し、昭和3年の第一回普選に臨みました。

写真は昭和5(1930)年、党本部前でベルギー総理大臣夫妻を迎えた社会民衆党の幹部たち。安部磯雄や松岡駒吉らとともに社会民衆婦人同盟の赤松明子(吉野作造二女)、赤松常子(総同盟本部。赤松克麿の妹。戦後、参議院議員)、阿部静枝(歌人。戦後、区議会議員)らもいます。

講演会「渋沢栄一と鈴木文治」(井上潤渋沢史料館館長)を開催、11月6日!

友愛労働歴史館は労使関係研究協会と共催で11月6日(水)午後、公開講演会を開催しました。テーマは「渋沢栄一と鈴木文治」、講師は井上潤渋沢史料館館長、場所は友愛会館9階中ホール、参加者は約50名でした。

井上潤館長はレジュメ「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」に基づく報告を行いました。レジュメは「Ⅰ.渋沢栄一91年の生涯の中から読み取れるもの、Ⅱ.渋沢栄一と鈴木文治・友愛会、Ⅲ. 労働問題に対する渋沢栄一の想い」の三部構成。これに基づき井上館長は、渋沢栄一の行動から見出せる信念や渋沢栄一と鈴木文治の出会い、そして渋沢栄一の労働問題に対する想いなどについて15時30分頃まで報告を行いました。その後、質疑・意見交換を行い、16時頃に閉会しました。

今回の講演会は朝日新聞に紹介されたこともあり、当館や労使研ゆかりの人たちの他、一般の方が十数名も参加されました。なお、井上館長の講演レジュメ「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」と添付資料「渋沢栄一略年譜」「渋沢栄一が関連した会社および社会事業団体」のデジタルデータを、希望者に送付いたします。Eメールで友愛労働歴史館まで申し込んでください。

なお、講演会終了後、友愛労働歴史館展示室(友愛会館8階)で開催中の企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」のミニ見学会を開催しました。

詩人・加藤一夫とユニテリアン教会機関誌『六合雑誌』!

詩人・加藤一夫(1887.2.28~1951.1.25)の名前を知る人は、今は少ないかもしれません。インターネットの「ウェキペディア」は、加藤一夫について「和歌山県生まれ、明治学院卒、大正6年「土の叫び地の囁き」を刊行し民衆詩派の詩人として文壇に登場する。大正9年アナーキズムを掲げる『自由人連盟』などに参加し検挙される。のち転向して宗教に入ることを宣言して農本主義、さらに天皇中心の思想をとなえるに至る」と記しています。

加藤一夫の作品は1915(大正4)年から1948(昭和23)年に数多く出版されていますが、代表作『民衆芸術論』が出版されたのは100年前の1919(大正8)年です。

「ウェキペディア」は加藤一夫について、「大正9年アナーキズムを・・・のち転向して宗教に入る」と記していますが、彼はキリスト教系の学校である明治学院の卒業で、明治45年頃から東京・芝のユニテリアン教会・惟一館(現在の友愛会館)に出入りしています。加藤とキリスト教の関係は、「のち転向して宗教に入る」とされた以前からあったのです。

事実、彼はユニテリアン教会機関誌『六合雑誌』に、多くの評論を発表しています。当歴史館が復刻したデジタル版『六合雑誌』(SDカード版12000円)を「加藤一夫」で検索すると、『六合雑誌』第374号(明治45年3月)「あこがれの国へ」から同第462号(大正8年7月)の新刊批評「民衆芸術論」まで47本の評論が掲載されています。

この後、加藤一夫は大正9年1月に『一隅より』を創刊しています。加藤が言うこの「手紙代用のリーフレット」は、その年の7月にかけて第6号まで発行されており、毎号4頁程度の簡素な刊行物でした。『一隅より』は1994年、緑蔭書房から復刻されています(写真参照)。

 

民主社会主義者・中村菊男の生誕100年、1919年11月11日!

本日(2019.11.11)は慶大教授・政治家として知られた中村菊男(1919.11.11~1977.5.17)の生誕100年です。中村菊男について「ウイキペディア」は、「中村菊男(なかむら きくお、1919年11月11日―1977年5月17日)は日本の政治学者、政治家。三重県出身。慶応義塾大学法学部卒。戦後慶大助教授、1952年教授。民主社会主義を唱え、1952年民主社会主義連盟の結成に参加。1955年左右社会党の統一に際し、右派代表として統一綱領を作成した」と解説しています。

中村教授(写真)はまた、労働組合に招かれて講演を行い、或いは労働講座の講師として活躍するなど、全労会議・同盟系の民主的労働運動を理論・行動で支えた学者・文化人でもあります。

その中村菊男について清滝仁志駒澤大学法学部教授が『改革者』11月号(政策研究フォーラム月刊誌)に、論文「民主社会主義者・中村菊男の学問と実践―果てしなく人間を追い続けた政治学徒―」を掲載しています。

友愛労働歴史館は去る9月11日、清滝仁志教授をお招きして政治・社会運動史研究会を開催し、テーマ「民主社会主義者・中村菊男の学問と実践」の講演を受けています。その折の講演レジュメ(PDFデータ)を希望者に贈呈いたしますので、希望者は友愛労働歴史館までEメールで申し込んでください。

ベルリンの壁崩壊から30年、当歴史館は壁のコンクリート片を常設展示中!

2019年11月9日は、東西ドイツの分断の象徴であった「ベルリンの壁」崩壊(1989.11.9)から30年になります。壁の撤去作業が始まったのは翌10日。本9日のマスコミ各紙・テレビが一斉に報じていますので、説明は省略しますが、当歴史館はこの「ベルリンの壁のコンクリート片」を所蔵し、常設展示していますので紹介いたします

「ベルリンの壁のコンクリート片」はその頃、ベルリンを訪問していた一人の日本人がドイツ市民とともに削り取り、保管していたもの。その後、旧鉄道労働組合(鉄労)関係者に渡り、2019年3月に当歴史館に寄贈されたものです。当歴史館はこのコンクリート片を、常設展「日本労働運動の100年余―友愛会・総同盟を中心とするー」の一角に常設展示しています。