友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

企画展「賀川豊彦と友愛会・総同盟」は12月22日(金)で閉会します!

 友愛労働歴史館が開催中の企画展「賀川豊彦と友愛会・総同盟」(2017.7.612.22)は、1222日(金)で閉会します。

牧師、社会運動家として知られる賀川豊彦(18881960)は、1917(大正6)年に友愛会の活動に加わっています。これを記念し当館は、賀川豊彦記念松沢資料館との連携・協力の下、76日から企画展「賀川豊彦と友愛会・総同盟」を開催して、労働運動家・賀川豊彦を浮き彫りにしてきました。

 この「賀川豊彦」展は、第1部「賀川豊彦の生涯 1888(明治21)年~1960(昭和35)年」、第2部「日本労働運動の母・賀川豊彦、『賀川イズム』とは 1917(大正6)年~1921(大正10)年」、第3部「川崎・三菱争議と賀川豊彦、新たなる活動の舞台へ 1921(大正10)年~1960(昭和35)年」の三部構成です。まだ、ご覧になっていない方は、ぜひ期間中にご来館、ご見学いただければと思います。

 当館の開館は原則、平日の10001700ですが、事前にメールでご一報いただければ時間外、土日・休日でも可能な限り対応いたしますので、ご相談ください。

 なお、来年15日(金)からは企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.56.29)を開催いたします。

波多野鼎(経済学者、政治家)の写真、資料を探しています!

友愛労働歴史館は現在、企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.01.0506.29)の開催準備をしています。これは2018年が片山哲(1887.07.281978.05.30)の没後40年、片山内閣(1947.5.241948.3.10)の崩壊から70年という節目の年に当たるためです。

 企画展では片山内閣(19471948)を支えた一人として、農林大臣を務めた波多野鼎(18961976)を紹介する予定です。しかし、当歴史館は波多野鼎の写真や資料をほとんど所持しておりません。

 特に波多野鼎の写真は、1枚も所蔵しておりません。波多野鼎の写真をお持ちの方は当館にEメールでご一報いただき、コピーをとらしていただければと思います。連絡先は下記の通りです。どうぞよろしくお願いいたします。

友愛労働歴史館  〒105-0014 東京都港区芝2-20-12  友愛会館8階 担当:間宮悠紀雄

050-3473-5325Fax03-3451-1710     Eメール yuairodorekishikan@rodokaikan.org

 

労働資料協2017年度総会に参加、11月21日・22日!

労働関係資料のリユースを行う社会・労働関係資料センター連絡協議会(労働資料協。事務局は「エル・ライブラリー」大阪産業労働資料館)の2017年度定期総会と研修会が、11月21日~22日の間、愛知県名古屋市と三重県四日市市で開催されました。

21日の2017年度総会(略)の後、翌22日には愛知県図書館とウィンク愛知(愛知県産業労働センター)、四日市公害と環境未来館の見学ならびに活動について研修し、参加者同士のフリートークも行われました。友愛労働歴史館からは安部千恵が参加しました。

映画『死線を越えて―賀川豊彦物語』(DVD2700円)が賀川豊彦記念松沢資料館で販売中!

1988年「賀川豊彦生誕100年記念」に制作された、賀川豊彦の生涯を描いた長編映画『死線を越えて―賀川豊彦物語』(2時間10分)は、しばらく品切れになっていました。
しかし、このほどDVD第二版ができ、賀川豊彦記念松沢資料館から特別価格2700円(税込、送料別)で販売されましたので、ご案内いたします。

メールレポート「友愛労働歴史館たより」第125号を発信しました!

友愛労働歴史館が情報提供のためインターネット上で発信しているメールレポート「友愛労働歴史館たより」第125号を、2017.10.31に発信しました。内容は以下の通りです(詳細は略)。メール配信を希望される方は、友愛労働歴史館までEメールで申し込んでください。

 メールレポート「友愛労働歴史館たより」第125号(2017.10.31)

1.西村章三氏を講師に第16回政治・社会運動史研究会を開催、1026日!

2.日本労働会館2017年度第2回理事会を開く、1031

3.賀川豊彦記念松沢資料館が映画「死線を越えて―賀川豊彦物語」DVDを販売中!

4.UAゼンセン茨木県支部定期総会の講演で友愛労働歴史館を紹介、1014日!

5.NPO法人・働く文化ネットの労働映画鑑賞会が開かれました、1012日!

6.賀川豊彦シンポジウムが1111日に明治学院大学で開催されます!

以上

賀川豊彦を「日本労働運動の母」と呼んだ西尾末廣!               

2017年は日本社会党を中心とする片山連立内閣(1947~1948年)が誕生してから70年。その片山内閣で官房長官を務めた西尾末廣(1891~1981)は、日本社会党や民社党を主導した政治家として知られていますが、元々は友愛会・総同盟の労働運動家です。

その西尾末廣は、キリスト教伝道者・社会運動家として知られる賀川豊彦(1880~1960)を、「日本労働運動の母」と呼んでいました。西尾末廣が1962(昭和37)年12月の「賀川全集 月報4」に添付した賀川豊彦追悼文を紹介いたします。

                 「政治家以上の人」

わが国の労働運動や社会運動は、とくにその初期において、キリスト教の影響をうけることが多かったし、クリスチャソ出身の優れた指導者が輩出して、大きな功績を残している。その中でも、私にとって忘れることのできない人は、安部磯雄氏と賀川豊彦氏である。

両先輩ともに、今の言葉で言えば民主社会主義者であり、議会主義者であった。そして何よりも、徹底した信念の人であった。

賀川さんは、大正七年から十一、二年ごろまでの数年間、関西における労働運動の中心的指導者だった。賀川さんが労働運動に入った動機は深くは知らない。それは多分、神戸の貧民街でのイエス団の運動から生れた必然の発展だったのであろう。また第一次世界大戦のさなか、二年九カ月にわたって米国に遊学し、キリスト教の伝道に従事するかたわら、先進国の労働運動を実地に見聞して帰国した直後のことであることも見逃すわけにはいくまい。

そのころ、私もまた関西にあって、当時の友愛会、のちの日本労働総同盟の大阪連合会の責任者になっていた。自然、賀川さんと私とは労働組合運動の同志として、また同じ友愛会ないし総同盟の幹部として、常時顔を合わせるようになったが、その間、一貫して賀川さんが健異な労働組合主義者であり、民主主義、議会主義を通じて労働階級の地位を向上させ、革命なくしてそのいわゆる「人格的社会主義」を実現しょうとする、今でいえば民主社会主義の思想の持主だったことをなつかしく憶い出すのである。

賀川さんが労働運動に挺身していた時期は、第一次大戦後の激動期で、革命的なサンヂカリズムの思想が一世を風靡していた感があった。今日からみれば妙な話だが、当時の急進的な労働運動者は普選獲得運動にさえ反対した。有産、無産の区別なく選挙権を与えて、勤労者の声を議会に反映させようとする運動に対して、議会否認の立場から反対したのである。議会はブルジョアのものであって、これにプロレタリヤを参加させようとするのは、直接行動による政権奪寂、つまり革命への労働階級の情熱をマヒさせようとするものだというのが、その反対の理由であった。

このような議会否認、普選反対、直接行動謳歌の風潮に対して、賀川さんは敢然として立ち向い、これと闘かった。そして常に、じゅんじゅんとして議会主義を説き、漸進的な労働組合運動の必要を力説した。殊に、私の印象に残っているのは、大会や集会などで激越なアジ演説が会場の空気を支配すればするほど、賀川さんは一層冷静な調子で持論を説き、過激分子の反省を求めたことである。のちに、大正十三年の大会で総同盟は有名な方向転換宣言を行ない、その運動方針を現実主義の方向にあらため、普選獲得運動についても積極的にこれに協力することとなったが、これには賀川さんの努力が大いにあずかって力があったこというまでもあるまい。

その後、サンヂカリズムに代って、マルクス・レーニン主義が盛んになっても、賀川さんはその態度を変えなかった。実に、信念の人だったと思うのである。

賀川さんは、優れたキリスト教の信者であると同時に、その教義の実践者であったが、しかし、いわゆる政治家の部類に入る人ではなかった。既に述べたように、立派な政治的見識と実行力を持っていたが、同時に夢多き詩人であった。生前、賀川さんを政界に出そうとする動きはしばしばであったが、私はいつも反対したものである。賀川さん自身はどう考えていたか知らないが、私にとって賀川さんは政治家以上のものであったからである。(賀川全集 月報4 昭和37年12月第18巻添付)

藤沢市名誉市民・片山哲氏の胸像を撮影!

友愛労働歴史館は20181月から企画展「平和の父・クリスチャン宰相片山哲(仮題)」(2018.01.052018.06.30)を開催いたします。その準備作業・資料収集の一環として1018日、神奈川県藤沢市にある片山哲氏の胸像の写真撮影を行ってきました。片山哲氏は藤沢市名誉市民として、胸像が藤沢市民会館に置かれています。

片山哲先生は政治家、クリスチャン、弁護士として知られています。大正15(1926)の社会民衆党(安部磯雄委員長)結党に参加し、書記長に就任したのが政治活動歴のスタート。戦後は日本社会党の結成に参加し、委員長に就任(書記長は西尾末廣)しています。日本社会党は1947(昭和22)の総選挙で第一党となり、社会党中心の片山連立内閣が誕生します。

2017年は片山哲氏の生誕130年、片山内閣誕生から70年。そして2018年は片山哲氏の没後40年、片山内閣崩壊から70年です。

ユニテリアン教会誌『六合雑誌』のデジタル版を販売中(友愛労働歴史館)!

 『六合雑誌』は明治131880)年に東京青年会により創刊され、大正101921)年の第481号をもって終刊となったキリスト教系雑誌です。明治311898)年に『六合雑誌』は、ユニテリアン協会の機関誌『ゆにてりあん』(後の『宗教』)と合併し、ユニテリアン系の新『六合雑誌』となっています。

 『六合雑誌』は単なるキリスト教関連雑誌に止まらず、「思想・評論誌として近代日本の思想や文化に大きな影響を与えた雑誌」とされています。特に社会思想・社会問題について進歩・革新の立場をとり、明治・大正期の社会運動、労働運動にも大きな影響を与えたことで知られています。

 友愛労働歴史館はこの『六合雑誌』をデジタル化し、検索機能を付け、個人がパソコンで自由に読むことができるようにしました。デジタル版『六合雑誌』には、ブルーレイディスク版・10000円(税込、送料別)とSDカード版・12000円(同)があり、何れも『六合雑誌』全巻(第1号~第481号)PDFデータ、『総目次』データ(Excel版)などを収録してあります。

 購入を希望される方は、友愛労働歴史館までEメールで申し込んでください。なお、原則、受注制作となります。ご了承をお願いいたします。

友愛労働歴史館 Eメール  yuairodorekishikan@rodokaikan.org

 〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8

 

  

劇作家・故菊田一夫の詩「忘れるな大衆の願いを」が寄贈される!

この程、劇作家・故菊田一夫の詩「忘れるな大衆の願いを」が、友愛労働歴史館に寄贈されました。この詩は1962(昭和37)年423日に開かれた「学者・文化人による民社党をはげます会」の会場に、大扇子に揮毫され、展示されていたものです。

「はげます会」の後に失われていましたが、最近写真が発見され、臨書・額装されて、当歴史館に寄贈されたものです。

     詩「忘れるな大衆の願いを」   菊田 一夫

民社党が退けば 民主主義が退く        民社党が進めば 民主主義の花が咲く

国民大衆は 民社党の勝利を神に願っている   物言う口も 物言わぬ目も・・・

物言う口も 物言わぬ目も           ジッと民社党を見凝めている

忘れるな 大衆の願いを 祈りを・・・

久谷與四郎氏が『日本労働運動100年』(富士社会教育センター)を出版!

労働評論家・久谷與四郎氏がこの程、『日本労働運動100年 温故知新 いま原点に立つ 大正元年・友愛会創立から連合結成まで』(富士社会教育センター)を出版されました。

本書は、UAゼンセン機関誌『Yuai』2012年1月号~2017年3月号に掲載されていた連載記事をまとめて再構成したものです。定価:834円+税。申込は公益財団法人富士社会教育センターまでお願いいたします。

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