メールレポート『友愛労働歴史館たより』を当館関係者が名刺交換された方などへ、情報提供のために送付しています。
送信した内容は一般財団法人日本労働会館のホームページにも掲載しています。
TEL.050-3473-5325
〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階
友愛会(後の総同盟・同盟。現在の連合)は大正元(1912)年8月1日、ユニテリアン教会・惟一館で鈴木文治ら15名が創立した中央労働団体で、当歴史館はこの友愛会ゆかりの歴史資料館です。
当歴史館は友愛会ゆかりの人々の資料を探しています。特に友愛会を創立した15名(下記参照)の内、①鈴木文治と⑧梶井與雄を除く13名の写真・資料を所蔵していません。これらの人たちの写真・資料をお持ちの方は、当歴史館までご一報ください。
友愛労働歴史館 eメール yuairodorekishikanあっとまーくrodokaikan.org
<友愛会創立メンバー15名>
①鈴木文治(統一基督教弘道会幹事)、②岡村寅次郎(畳職)、③高橋秀雄(機械工)、④鈴木吉太郎(塗物工)、⑤山口庄吉(電気工)、⑥板倉定四郎(巡査)、⑦伊藤伝蔵(牛乳配達夫)、⑧梶井与雄(梶井與雄。機械工)、⑨森田駿(機械工)、⑩石井輪之助(機械工)、⑪喜多川鉱造(機械工)、⑫野村市太郎(電気工)、⑬酒井義雄(撒水夫)、⑭大栗和七(撒水夫)、⑮宮本精太郎(撒水夫)
財団の業務見直し・改修工事にともない、友愛労働歴史館の研修室は2022年夏に廃止され、歴史館内で会合可能なスペースは書庫内の閲覧室(約8人まで)のみとなりました。
当館見学とあわせて研修行事をご計画の方には、同建物内(9階)の友愛会館会議室の利用をおすすめしています。150人規模の大会議室から30人規模の小会議室まで、午前・午後・夜間(21時まで)の時間帯で貸し出されています。
詳しくは株式会社友愛会館へ電話にておたずねください(TEL 03-3453-5381)。
宿泊をともなう研修等の場合は、当館の同建物内に昨年リオープンしたローズステイ東京芝公園をご利用ください。https://rosestay-tsp.com/
財団の業務見直し・改修工事にともない、友愛労働歴史館の研修室は昨夏に廃止され、会合可能なスペースは書庫内の閲覧室(8人まで)のみとなりました。。当館見学とあわせて研修行事をご計画の方には、同建物内(9階)の友愛会館会議室の利用をおすすめしています。
150人規模の大会議室から30人規模の小会議室まで、午前・午後・夜間(21時まで)の時間帯で貸し出されています。
詳しくは株式会社友愛会館へ電話にておたずねください(TEL 03-3453-5381)。
日程は2022年7月21日(木)~22日(金)、(場所:JAM西日本会館、時間:10:00~16:00)
の二日間の短期間開催であったが、労使研、民社協会、各産別(加盟組合含む) 組織関係者36名、大学教員など一般参加者7名、総員43名の皆様が来場されました。
展示のあらましを紹介しますと、
戦前、大阪・関西を中心に友愛会・総同盟の労働運動に取り組んだ西尾末廣。戦後は日本社会党の結成を主導し、片山内閣の官房長官を務めます。逆境にあってもぶれない姿勢と風貌から西尾末廣は風雪の人、百折不撓の人、鬣(たてがみ)を持つ男と呼ばれました。
自ら結党した日本社会党の容共・反米主義を批判した西尾末廣は、1960年に民社党を結党するなどその姿勢は一貫して反共主義・反全体主義でした。2021年は西尾末廣(1891.3.28~1981.10.3)の生誕130年、没後40年。友愛労働歴史館はこれを記念し、企画展「鬣(たてがみ)を持つ男・西尾末廣―労働運動・政治運動に生きた生涯―」(2021.3.8~7.5)を開催したものを、関係の深い関西・大阪で再展示しました。
第1部 風雪の人・西尾末廣―1891年~1981年―
戦前期、友愛会・総同盟系の労働運動で活躍する一方、大正15年の社会民衆党にも参加し、日本で初めての無産政党出身政治家となった西尾末廣。戦後は日本社会党や民社党の結党を主導し、革新系を代表する政治家として生きた西尾末廣の90年の生涯を、写真や解説パネルで紹介しました。
第2部 百折不撓の人・西尾末廣―労働運動に生きて―
戦前期、友愛会・総同盟系労働運動は非合法下、国家権力の弾圧を受ける一方、共産主義者や無政府主義者との戦いにも翻弄されます。苦しい戦いの中、労働組合主義者・西尾末廣はぶれることなく己を貫き通し、百折不撓の人と呼ばれました。第2部は労働運動家・西尾末廣を紹介しました。
第3部 鬣(たてがみ)を持つ男・西尾末廣―政治運動に生きて―
戦後、政治運動へと軸足を移した西尾末廣は、日本社会党や民社党の結党を主導しています。冤罪事件などでも自らの主張を貫き通す一貫した姿勢と、その風貌から西尾末廣は鬣(たてがみ)を持つ男と呼ばれました。第3部は政治家・西尾末廣について、写真や解説パネルで紹介しました。
昨年、西尾末廣の生誕130年、没後40年を記念して開催した企画展「鬣(たてがみ)を持つ男 西尾末廣 労働運動・政治運動に生きた生涯」は、新型コロナウイルスの影響で見逃した方も多いと思われます。
このたび、労使関係研究協会関西支局との共催により、出張展示が決まりました。会場は展示専用施設ではありませんが、可能な限りの再現をめざします。
会期 2022年7月21日(木)~7月22日(金)
両日とも10時から16時
会場 JAM西日本会館 6階講堂 大阪市西区土佐堀1-6-3(地下鉄肥後橋駅より徒歩6分)
鬣(たてがみ)を持つ男 西尾末廣 労働運動・政治運動に生きた生涯
第1部 風雪の人・西尾末廣 -1891年~1981年-
第2部 百折不撓の人・西尾末廣 -労働運動に生きて-
第3部 鬣を持つ男¥西尾末廣 -政治運動に生きて-
地元関西の皆様、どうぞお出かけください。
1894(明治37)年3月25日、米国ユニテリアン協会により東京・芝にユニテリアン教会・惟一館(設計:ジョサイア・コンドル)が建設されました。現在の友愛会館・日本労働会館です。献堂式には福澤諭吉や横井時雄らが祝辞を寄せています。
ユニテリアン教会は“至誠・正義・雍穆”を標語に、世界四大聖人(ソクラテス、釈迦、キリスト、孔子)の肖像を掲げ、教会長に仏教徒を招聘するなど開かれた姿勢を示しました。
米国ユニテリアン協会のクレイ・マッコーレイ牧師は、この惟一館を拠点にユニテリアン・ミッション(自由の拡大、社会問題の解決)に取り組みます。このため惟一館にはユニテリアン・ミッションに共感した多くの人々が集まりました。
その一人、安部磯雄(日本野球の父)により1898(明治31)年に社会主義研究会(後の社会民主党)が創られます。これにより惟一館は日本社会主義運動発祥の地となり、安部は日本社会主義運動の父と呼ばれました。1912(大正元)年にはユニテリアン教会の鈴木文治が友愛会(現連合)を創立したことにより惟一館は日本労働運動発祥の地となり、鈴木は日本労働運動の父と呼ばれました。