友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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ニュース

ベルンシュタイン著『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』から120年!

120年前の1899年、ドイツの社会思想家・政治家であるエドゥアルト・ベルンシュタイン(1850.1.6~1932.12.28)は、『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』を刊行します。これによりドイツ社会民主党にいわゆる「ベルンシュタイン問題」が起こり、彼は主流派、特に左派から修正主義者として厳しく批判されます。

しかし、同書は先進資本主義国における民主的な社会主義への道(「議会政治による社会主義の漸進的な実現」)を示したものであり、ベルンシュタイン主義は今日、イギリスのフェビアン主義とともに民主社会主義の源流の一つとされています。

友愛労働歴史館はエドゥアルト・ベルンシュタインの主著『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』(佐瀬昌盛訳、ダイヤモンド社)を所蔵する他、関連書として①『ベルンシュタイン―民主的社会主義のディレンマ』(ピーター・ゲイ著、木鐸社)、②『ベルンシュタインと修正主義』(関嘉彦著、早稲田大学出版部)、③『ベルンシュタイン―亡命と世紀末の思想』(亀嶋庸一著、みすず書房)、④『民主的社会主義と社会民主主義―ベルンシュタイン、ゴーデスベルク・ベルリン綱領』(ホルスト・ハイマン著、現代の理論社)」があります。また、エンゲルスとベルンシュタインの往復書簡が収録されている『マルクス・エンゲルス全集』35巻・36巻『書簡集』(大月書店)を所蔵しており、来館者への閲覧に供しています。

友愛会創立は大正デモクラシーの先駆、1912(大正元)年8月1日!

日本労働運動の源流、友愛会(大正元年8月1日創立)を顕彰する活動に取り組んでいる「友愛会創立を記念する会」(高木剛会長)は8月1日、友愛会館において友愛会創立を記念する会(記念パーティー、記念労働講座)を開催しました。

今年は友愛会創立から107年。大正元年8月1日に自由基督教の一つ、ユニテリアン教会・惟一館(東京芝、現在の友愛会館)で、鈴木文治や梶井與雄ら15名によって友愛会は創立されています。「広辞苑」は友愛会について「1912年鈴木文治らが創立した労働組合。初めは共済・修養機関の色彩が強かったが、全国的組織に発展して、21年日本労働総同盟と改称」と記述し、友愛会を「修養機関」とやや揶揄した解説を行っています。

鈴木文治(肖像画左)は友愛会創立について『労働運動20年』(昭和6年発行。昭和60年に現代文訳発行)で、「大正元年8月1日の夜―おそれおおくも明治天皇がなくなられて三日目、年号を改めた第一日、全市をあげて市の沈黙にある時、前年から度々相談をまとめてきた同士労働者15名は、三田は惟一館の図書室に、未来永久への希望をかけて、血盟の誓いを立てた」と記述しています。

今日、友愛会への評価は様々ですが、大正の幕開けとともに誕生し、労働者の人格の向上を目指して大正期の労働運動を主導した友愛会は、「大正デモクラシーの先駆」(友愛労働歴史館)と言って良いでしょう。因みに「大正デモクラシーの旗手」とされる吉野作造(肖像画右)は、鈴木文治の同郷の先輩(共に東京帝大)で、友愛会の評議員を務めた支援者である。

渋沢栄一の「老後の三大事業」と協調会!

友愛労働歴史館は現在、企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催中であり、協調会や初期の協調会を主導した渋沢栄一らについて解説しています。

そこで渋沢栄一と協調会について少し紹介いたします。渋沢栄一は約500社の企業の創設・経営に関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれた巨人。「実業家。青淵と号。初め幕府に仕え、明治維新後、大蔵省に出仕。辞職後、第一国立銀行を経営、製紙・紡績・保険・運輸・鉄道など多くの企業設立に関与、財界の大御所として活躍。引退後は社会事業・教育に尽力。(1840~1931)」(広辞苑)と解説されています。

日本近代資本主義の巨人、渋沢栄一は大正5(1919年)に77歳で実業界を引退。そして「老後の三大事業」として、「経済と道徳の一致」「資本と労働の調和」「細民救恤手段の統一」の活動に取り組みます。

労働運動関係者が注目するのは渋沢がめざした「資本と労働の調和」であり、それを具体化した協調会(大正8年結成)についてです。協調会は「労資協調を目的とし、労資紛争の防止・調停、社会問題の解決・調査・研究などを事業とした財団法人。1919年(大正8)東京に創立、第二次大戦後解散」(広辞苑)とされ、とかく負のイメージがあります。

しかし、初期の協調会と友愛会・総同盟は一定の関係を保ち、鈴木文治会長は協調会を評価していました。友愛労働歴史館の企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」に言及しつつ、何回かに亘り渋沢栄一と協調会について記述します。

友愛会創立記念労働講座を開催、8月1日!

日本労働運動の源流、友愛会(大正元年8月1日創立)を顕彰する活動に取り組んでいる「友愛会創立を記念する会」(高木剛会長)は、毎年8月1日に友愛会創立を記念する会(記念パーティー、記念労働講座)を開催しています。今年も記念パーティーは8月1日(木)12時から友愛会館9偕大会議室で開催されました。

また、これに先立ち友愛会創立記念労働講座が、当館研修室で開催されました。今回のテーマは「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」で、45分のミニ講演。報告者は当歴史館の間宮悠紀雄事務局長が務めました。以下、少し長くなりますが、講演レジュメを転載いたします。

「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」 友愛労働歴史館 間宮悠紀雄

1.渋沢栄一と鈴木文治の出会い―大正4年、米カ州の排日問題が契機―

①米カリフォルニア州を中心に、米国労働総同盟AFL主導の移民排斥運動が起きる。

日米の知識人らが協議し、帰一協会の安部磯雄・添田寿一・渋沢栄一らが動く

②渋沢栄一と鈴木文治の出会い―大正3年秋からから4年春ころに何回か面談―

③鈴木文治と吉松貞弥の渡米―大正4.6.1・友愛会主催の全国労働者大会、渋沢栄一

も激励。6.17、渋沢が送別会を開く。以後、渋沢は鈴木文治と友愛会を激励援助

  1. 渋沢栄一と鈴木文治が絶交―協調会の結成が契機―

①1919(大正8)年、労資協調を目的とする協調会設立、徳川家達・渋沢栄一ら

②渋沢は鈴木に参加要請。鈴木は6カ条を要求し拒絶、二人の公的関係終わる

③協調会への批判:「協調会は政府及び資本家の親類筋」(鈴木文治)、「協調会は労働運動を抑圧する目的を以て官僚及び資本家の共同して設立したもの」(総同盟)

3.協調会の方向転換―渋沢栄一・添田敬一郎と「協調会宣言」―

①渋沢栄一が協調会の内部刷新―大正9年論文「労働問題の根本義」、役員の更迭―

「労働組合の存在を前提とし、①労資の人格の尊重、②労資の対等、③階級闘争の排除を柱とする「新しい協調主義」の理念」「温情主義を踏みこえて、協調主義の理想のもとに産業の基礎を資本家と労働者との人格的協働に求めた」(『添田敬一郎傳』)

②添田敬一郎(内務官僚)の協調会入り―社会連帯主義を掲げ、協調会を方向転換―

「吾人の期するところは、協調の精神的基礎たる社会連帯の思想をあくまで鼓吹するにある。協調の静態は社会連帯の思想であり、その動態は社会政策の実行である」「「対等なる人格の相互尊重は協調の第一要素である」(協調会機関誌『社会政策時報』、大正10年)

③「協調会宣言」―人間は常に最終の目的、人格の尊重が協調主義の根帯―

4.総同盟と協調会の関係―1919(大正8)年~1931(昭和6年)―

①鈴木文治は協調会の方向転換を評価―『労働運動20年』に見る―

②総同盟は初期協調会との関係を維持―大正8年~昭和6年―

・総同盟の協調会館(講堂、図書館)の利用

・協調会の労働争議調停(例:野田労働争議)

・昭和5年に鈴木が総同盟会長辞任、昭和6年に添田敬一郎が去り渋沢栄一が死去

③戦後、友愛会系労組がタブーとした「労資協調」「企業内組合」

・「労資協調」に込められた非難や揶揄、協調会を連想させる歴史的経緯

・それ故、友愛会系労組は「労使協力」「労使協議」などの言葉を使用してきた

・「企業内組合」は産別にも中央労働団体にも加盟しない、企業内で完結した組合

「日本資本主義の父」渋沢栄一と「日本労働運動の父」鈴木文治の関係!

友愛労働歴史館は7月4日から企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催しています。この「協調会」展の第3部は「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」で、渋沢栄一と鈴木文治・友愛会の関係、繋がりについて解説しています。

渋沢栄一は「日本資本主義の父」であり、幅広い活動に取り組んだ巨人。その渋沢と鈴木の関係は余り知られていません。しかし、友愛会の記録や鈴木文治著『労働運動20年』には、渋沢栄一や協調会が出てきます。また、限られた記述ではありますが、『渋沢栄一伝記資料』(渋沢史料館)に、鈴木文治や友愛会が登場しています。

企画展「協調会」では鈴木の『労働運動20年』や『渋沢栄一伝記資料』に言及しつつ、渋沢と鈴木の関係を見つめています。鈴木文治・友愛会を激励援助した「日本資本主義の父」渋沢栄一と、渋沢栄一・協調会(初期)を評価していた「日本労働運動の父」鈴木文治の関係についてご覧ください。

新企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」がスタート!

友愛労働歴史館は7月4日(木)からは新しい企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)をスタートさせました。

今から100年前の大正8(1919)年、社会運動の調査・研究、政策提言などを行う二つの団体が誕生しました。大原社会問題研究所と協調会です。大原社研は現在も活動を続けていますが、 「労資協調のための研究調査・社会事業を行う財団法人」として設立された協調会は戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から解散を命じられ、協調会傘下の教育機関は法政大学社会学部や産業能率大学などの母体となりました。協調会の膨大な資料は現在、大原社会問題研究所が所蔵しています。

企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」は、第1部で協調会27年の歴史・活動などを紹介。第2部では初期の協調会を主導した副会長の渋沢栄一(日本資本主義の父)と、協調会常務理事を務めた添田敬一郎(内務官僚、政治家)について紹介、解説しています。また、第3部では渋沢栄一と鈴木文治、友愛会との関わりについて解説しています。

友愛労働歴史館は7月1日(月)~3日(水)、新企画展準備のため休館します!

友愛労働歴史館は7月4日(木)から新しい企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催いたします。この企画展「協調会」は、今年が協調会結成(大正8年)から100年になることを記念したもので、特徴的なのは初期の協調会を主導した渋沢栄一にスポットを当てていることです。

この新企画展準備のため7月1日(月)~3日(水)の三日間、友愛労働歴史館は休館いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

なお、6月28日(金)まで開催いたしました企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)には、多くの皆様が来館されました。心より感謝いたします。

メールレポート「友愛労働歴史館たより」第145号を発信しました!

友愛労働歴史館が情報提供のためインターネット上で発信しているメールレポート「友愛労働歴史館たより」第145号(PDFデータ)を本25日、メールアドレス登録者へ発信しました。同メールレポートの内容は以下の通りです。

なお、友愛労働歴史館が開催中の企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)は6月28日(金)に閉会し、7月4日(木)より新しい企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催いたします。

この新しい企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」の準備のため当歴史館は、6月29日(土)から7月3日(水)まで休館いたします。

<メールレポート「友愛労働歴史館たより」第145号(2019.6.25)>
1.企画展「民社党結党60年」が6月28日に閉会します!
2.企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」が7月4日にオープン!
3.友愛会創立を記念する会が第2回幹事会を開催、6月24日!
4.総同盟の会が初夏の集いを開催、6月12日!
5.労働資料協がデジタルアーカイブ実務セミナーを開催、6月22日!

企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」は6月28日(金)に閉会します!

友愛労働歴史館が開催中の企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)は、今月28日(金)に閉会いたします。まだ、ご覧いただいていない皆様はぜひ期間中にご覧いただければと思います。

本企画展「民社党結党60年」は民社党を中心に展示・解説していますが、同党の源流である社会民衆党(1926年)や戦後の日本社会党についても言及しています。戦前の無産政党、戦後の革新政党に興味と関心のある方のご来館をお待ちいたします。

民社党は勤労者を基盤に、福祉国家・福祉社会をめざした改革政党・国民政党でした。不幸にして多くの国民の支持を得られず、小選挙区制が導入された1994年に解散し、新進党・新党友愛・民主党を経て現在は国民民主党に合流しています。本「民社党結党60年」展で社会民衆党から民社党までの歴史と活動、その理念をご覧ください。

 

朝日新聞デジタル版、東京新聞に友愛労働歴史館が登場!

朝日新聞デジタル版の言論サイト「論座」の「日本会議と共闘する労働戦線は、どのように作られてきたか」の中に、友愛労働歴史館が登場しています。

また、5月23日の東京新聞夕刊「論壇時評」の「連合と右派運動―民社・同盟系の動向がかぎ」(中島岳志東京工業大学教授)は、朝日新聞「論座」に触れつつ、当館企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)に言及しています。

詳細は省きますが、中島教授は当館の展示が「社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近は、展示の中では強調されていない」と記しています。この点について友愛労働歴史館として一言、述べたいと思います。

社会大衆党は1932(昭和7)年、日本労農党(戦後の社会党中間派)系と社会民衆党(総同盟が支援した無産政党右派。戦後の社会党右派・民社党の前身)系が合同してできた無産政党。当時、社会大衆党の主導権を握っていたのは旧日労系で、旧社民系は少数派でした。

そして国家社会主義を志向する旧日労系と、社会民主主義の旧社民系は、産業報国会問題などで対立。昭和15年の斎藤隆夫粛軍演説問題で旧社民系は、主流派の旧日労系により社会大衆党を除名されます(『幻の勤労国民政党』梅澤昇平著を参照)。

このような経緯から友愛会系労働組合の歴史資料館である当館にとって、社会大衆党は汚点。わざわざ企画展で、日労系が主導した「社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近」を「強調」する理由はないのです。