友愛労働歴史館は先達のメッセージを読み取り、再発信します!

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〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

庭に咲き野山に咲くもかわりなし 梅の薫にあこかるるかな(片山哲)!

友愛労働歴史館は現在、片山連立内閣(1947年)で首班を務めた片山哲(1887.7.281978.5.30。クリスチャン、弁護士、政治家)の没後40年、片山内閣崩壊70年を記念した企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.56.29)を開催中です。

 同展展示物の一つに、片山哲が和田一仁氏(元民社党衆議院議員、戦前からの盟友和田操の子息)に贈った短歌(色紙)を展示しています。

 それが「庭に咲き野山に咲くもかわりなし 梅の薫にあこかるるかな」の短歌で、社会党内左派の反乱で片山内閣が総辞職に追い込まれたときの心境を詠んだものです。

 一人の政治家として政権に汲々とせず、民主主義と平和に憧れ続けた片山哲の心境が伝わってくる歌です。

企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」が本日オープンしました!

明けましておめでとうございます。今年も友愛労働歴史館をよろしくお願いします。

さて本日から企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.5~6.29)を開催いたします。今年は片山内閣の崩壊から70年、片山哲の没後40年となります。このため友愛労働歴史館は片山哲・片山内閣を取り上げた企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.5~6.29)を開催します。

第1部では片山哲の90年の生涯を、写真や解説パネルで紹介します。クリスチャン、弁護士、政治家として生きた片山哲は、人々の人権と社会正義をめざし、また平和と民主主義のために生涯を捧げました。また、彼は一方で、唐の詩人・白楽天に傾倒し、文人宰相と呼ばれました。

第2部では片山内閣の誕生と崩壊について、解説パネルなどで紹介します。1947年に成立した片山連立内閣は、結果として短命に終わり、今日までその評価は必ずしも高くありません。しかし、片山内閣は積極的に民主化政策を進め、片山哲は「戦後民主化のリーダー」と呼ばれています。

第3部では片山内閣を支えた人々を紹介します。鈴木義男司法大臣、森戸辰男文部大臣、水谷長三郎商工大臣、米窪満亮労働大臣、西尾末廣内閣官房長官らがおり、また松岡駒吉は衆議院議長として片山内閣を支えました。彼らを写真や解説パネルで紹介します。

今回の企画展で「戦後日本の民主化をリードした片山哲」を見つめ、片山内閣とそれを支えた人々について、一考していただければと思います。

2018年1月5日 友愛労働歴史館 館長 徳田 孝蔵

友愛労働歴史館は本28日が仕事納め、1月5日(金)に開会します!

 友愛労働歴史館は本28日が仕事納めです。この一年間のご愛顧に感謝いたします。お陰様で上期の企画展「内ケ崎作三郎―教育者・牧師・政治家の生涯―」(2017.01.06~06.30)、下期の企画展「賀川豊彦と友愛会・総同盟」(2017.7.6~12.22)とも無事に閉会を迎えることができました。

 なお、友愛労働歴史館は1229日(金)から14日(木)まではお休みし、15日(金)からは新しい企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.56.29)を開催いたします。どうぞご来館、ご見学いただければと思います。

1月5日から企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」を開催します!

 友愛労働歴史館が開催中の企画展「賀川豊彦と友愛会・総同盟」(2017.7.612.22)は、明日22日(金)に閉会します。そして来年15日(金)からは企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」を開催いたします。

 2018年は片山哲(1887.07.281978.05.30)の没後40年、片山連立内閣(1947.5.241948.3.10)の崩壊から70年となります。友愛労働歴史館はこれを記念し、クリスチャン、弁護士、政治家として活躍し、戦後日本の民主化をリードした片山哲を取り上げ、企画展「戦後民主化のリーダー 片山 哲」(2018.01.0506.29)を開催します。

企画展「賀川豊彦と友愛会・総同盟」は12月22日(金)で閉会します!

 友愛労働歴史館が開催中の企画展「賀川豊彦と友愛会・総同盟」(2017.7.612.22)は、1222日(金)で閉会します。

牧師、社会運動家として知られる賀川豊彦(18881960)は、1917(大正6)年に友愛会の活動に加わっています。これを記念し当館は、賀川豊彦記念松沢資料館との連携・協力の下、76日から企画展「賀川豊彦と友愛会・総同盟」を開催して、労働運動家・賀川豊彦を浮き彫りにしてきました。

 この「賀川豊彦」展は、第1部「賀川豊彦の生涯 1888(明治21)年~1960(昭和35)年」、第2部「日本労働運動の母・賀川豊彦、『賀川イズム』とは 1917(大正6)年~1921(大正10)年」、第3部「川崎・三菱争議と賀川豊彦、新たなる活動の舞台へ 1921(大正10)年~1960(昭和35)年」の三部構成です。まだ、ご覧になっていない方は、ぜひ期間中にご来館、ご見学いただければと思います。

 当館の開館は原則、平日の10001700ですが、事前にメールでご一報いただければ時間外、土日・休日でも可能な限り対応いたしますので、ご相談ください。

 なお、来年15日(金)からは企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.56.29)を開催いたします。

波多野鼎(経済学者、政治家)の写真、資料を探しています!

友愛労働歴史館は現在、企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.01.0506.29)の開催準備をしています。これは2018年が片山哲(1887.07.281978.05.30)の没後40年、片山内閣(1947.5.241948.3.10)の崩壊から70年という節目の年に当たるためです。

 企画展では片山内閣(19471948)を支えた一人として、農林大臣を務めた波多野鼎(18961976)を紹介する予定です。しかし、当歴史館は波多野鼎の写真や資料をほとんど所持しておりません。

 特に波多野鼎の写真は、1枚も所蔵しておりません。波多野鼎の写真をお持ちの方は当館にEメールでご一報いただき、コピーをとらしていただければと思います。連絡先は下記の通りです。どうぞよろしくお願いいたします。

友愛労働歴史館  〒105-0014 東京都港区芝2-20-12  友愛会館8階 担当:間宮悠紀雄

050-3473-5325Fax03-3451-1710     Eメール yuairodorekishikan@rodokaikan.org

 

労働資料協2017年度総会に参加、11月21日・22日!

労働関係資料のリユースを行う社会・労働関係資料センター連絡協議会(労働資料協。事務局は「エル・ライブラリー」大阪産業労働資料館)の2017年度定期総会と研修会が、11月21日~22日の間、愛知県名古屋市と三重県四日市市で開催されました。

21日の2017年度総会(略)の後、翌22日には愛知県図書館とウィンク愛知(愛知県産業労働センター)、四日市公害と環境未来館の見学ならびに活動について研修し、参加者同士のフリートークも行われました。友愛労働歴史館からは安部千恵が参加しました。

映画『死線を越えて―賀川豊彦物語』(DVD2700円)が賀川豊彦記念松沢資料館で販売中!

1988年「賀川豊彦生誕100年記念」に制作された、賀川豊彦の生涯を描いた長編映画『死線を越えて―賀川豊彦物語』(2時間10分)は、しばらく品切れになっていました。
しかし、このほどDVD第二版ができ、賀川豊彦記念松沢資料館から特別価格2700円(税込、送料別)で販売されましたので、ご案内いたします。

メールレポート「友愛労働歴史館たより」第125号を発信しました!

友愛労働歴史館が情報提供のためインターネット上で発信しているメールレポート「友愛労働歴史館たより」第125号を、2017.10.31に発信しました。内容は以下の通りです(詳細は略)。メール配信を希望される方は、友愛労働歴史館までEメールで申し込んでください。

 メールレポート「友愛労働歴史館たより」第125号(2017.10.31)

1.西村章三氏を講師に第16回政治・社会運動史研究会を開催、1026日!

2.日本労働会館2017年度第2回理事会を開く、1031

3.賀川豊彦記念松沢資料館が映画「死線を越えて―賀川豊彦物語」DVDを販売中!

4.UAゼンセン茨木県支部定期総会の講演で友愛労働歴史館を紹介、1014日!

5.NPO法人・働く文化ネットの労働映画鑑賞会が開かれました、1012日!

6.賀川豊彦シンポジウムが1111日に明治学院大学で開催されます!

以上

賀川豊彦を「日本労働運動の母」と呼んだ西尾末廣!               

2017年は日本社会党を中心とする片山連立内閣(1947~1948年)が誕生してから70年。その片山内閣で官房長官を務めた西尾末廣(1891~1981)は、日本社会党や民社党を主導した政治家として知られていますが、元々は友愛会・総同盟の労働運動家です。

その西尾末廣は、キリスト教伝道者・社会運動家として知られる賀川豊彦(1880~1960)を、「日本労働運動の母」と呼んでいました。西尾末廣が1962(昭和37)年12月の「賀川全集 月報4」に添付した賀川豊彦追悼文を紹介いたします。

                 「政治家以上の人」

わが国の労働運動や社会運動は、とくにその初期において、キリスト教の影響をうけることが多かったし、クリスチャソ出身の優れた指導者が輩出して、大きな功績を残している。その中でも、私にとって忘れることのできない人は、安部磯雄氏と賀川豊彦氏である。

両先輩ともに、今の言葉で言えば民主社会主義者であり、議会主義者であった。そして何よりも、徹底した信念の人であった。

賀川さんは、大正七年から十一、二年ごろまでの数年間、関西における労働運動の中心的指導者だった。賀川さんが労働運動に入った動機は深くは知らない。それは多分、神戸の貧民街でのイエス団の運動から生れた必然の発展だったのであろう。また第一次世界大戦のさなか、二年九カ月にわたって米国に遊学し、キリスト教の伝道に従事するかたわら、先進国の労働運動を実地に見聞して帰国した直後のことであることも見逃すわけにはいくまい。

そのころ、私もまた関西にあって、当時の友愛会、のちの日本労働総同盟の大阪連合会の責任者になっていた。自然、賀川さんと私とは労働組合運動の同志として、また同じ友愛会ないし総同盟の幹部として、常時顔を合わせるようになったが、その間、一貫して賀川さんが健異な労働組合主義者であり、民主主義、議会主義を通じて労働階級の地位を向上させ、革命なくしてそのいわゆる「人格的社会主義」を実現しょうとする、今でいえば民主社会主義の思想の持主だったことをなつかしく憶い出すのである。

賀川さんが労働運動に挺身していた時期は、第一次大戦後の激動期で、革命的なサンヂカリズムの思想が一世を風靡していた感があった。今日からみれば妙な話だが、当時の急進的な労働運動者は普選獲得運動にさえ反対した。有産、無産の区別なく選挙権を与えて、勤労者の声を議会に反映させようとする運動に対して、議会否認の立場から反対したのである。議会はブルジョアのものであって、これにプロレタリヤを参加させようとするのは、直接行動による政権奪寂、つまり革命への労働階級の情熱をマヒさせようとするものだというのが、その反対の理由であった。

このような議会否認、普選反対、直接行動謳歌の風潮に対して、賀川さんは敢然として立ち向い、これと闘かった。そして常に、じゅんじゅんとして議会主義を説き、漸進的な労働組合運動の必要を力説した。殊に、私の印象に残っているのは、大会や集会などで激越なアジ演説が会場の空気を支配すればするほど、賀川さんは一層冷静な調子で持論を説き、過激分子の反省を求めたことである。のちに、大正十三年の大会で総同盟は有名な方向転換宣言を行ない、その運動方針を現実主義の方向にあらため、普選獲得運動についても積極的にこれに協力することとなったが、これには賀川さんの努力が大いにあずかって力があったこというまでもあるまい。

その後、サンヂカリズムに代って、マルクス・レーニン主義が盛んになっても、賀川さんはその態度を変えなかった。実に、信念の人だったと思うのである。

賀川さんは、優れたキリスト教の信者であると同時に、その教義の実践者であったが、しかし、いわゆる政治家の部類に入る人ではなかった。既に述べたように、立派な政治的見識と実行力を持っていたが、同時に夢多き詩人であった。生前、賀川さんを政界に出そうとする動きはしばしばであったが、私はいつも反対したものである。賀川さん自身はどう考えていたか知らないが、私にとって賀川さんは政治家以上のものであったからである。(賀川全集 月報4 昭和37年12月第18巻添付)