「武藤光朗の3つのメッセージ」
友愛労働歴史館企画展「同盟結成から50年、その今日的意義を探る」の「同盟ゆかりの人たち」で取り上げている武藤光朗は、ヤスパース研究の泰斗として知られ、中央大学や早稲田大学で教鞭をとった社会思想家です。
展示に当たり当歴史館は、「武藤光朗の3つのメッセージ」に的を絞り、解説を行っています。その「3つのメッセージ」を紹介いたします。
1.「民主社会主義による自由の二重の反抗」を呼び掛ける
「真の人間の自由は如何に確立し得るか」を問い続けていた武藤光朗は、 1960年に民社党綱領起草委員会に参画します。1966年には民主社会主義研究会議(民社研。現在の政策研究フォーラム)の議長に就任し、民主社会主義陣営の理論的リーダーの一人として活躍を始めます。彼は1951年の社会主義インターナショナルSIの「フランクフルト宣言」に依拠しつつ、「民主社会主義による自由の二重の反抗」を提唱します。それは自由放任の資本主義経済がもたらす矛盾・非人間性(格差、不平等、雇用不安、貧困など)への反抗であり、また共産主義がもたらす非人間性(プロレタリア独裁、専制、自由と人権の抑圧、個人の徹底的な社会化など)への反抗の呼び掛けでした。
2.「インドシナ難民がもたらした自由と人権のメッセージ」を生かす
1975年のサイゴン陥落、翌76年の北ベトナムによる南ベトナムの共産化が行われると、圧政を嫌う人々はボートピープルとして国外に逃れました。その数は100万人以上に達し、救出されることなく海に沈んだ人々も数多かったとされます。難民の多くはアメリカに亡命しましたが、日本にも1万人以上の人々が逃れてきました。
武藤光朗は1981年、インドシナ難民共済委員会を組織し、日本に亡命してきた難民の支援に乗り出しました。さらに1983年、インドシナ難民共済委員会がインドシナ難民救援センターと統合してインドシナ難民連帯委員会CSIRになると、その会長として活躍します。
かねてから共産主義国家の自由と人権の抑圧を批判し続けてきた武藤光朗には、「難民の人たちがもってきた自由と人権のメッセージを生かしていきたい」との強い想いがありました。CSIRは1993年、インドシナ難民及びアジアの恵まれない人々と連帯する委員会CSIRAと改称。そして難民問題が終息に向かう中、1995年にアジア連帯委員会CSAと改称し、今日に至っています。
3.自由・平等を媒介統合する「友愛」に目を向け、「友愛民主主義」を提唱
フランス市民革命の基本理念に「自由・平等・友愛」があります。「自由」は時として放縦となり社会に格差や不平等をもたらし、「平等」は行き過ぎると不平等となって社会から自由と活力を奪います。「友愛」は、この両立し得ない自由と平等を、媒介統合する最も大切な基本理念とされます。
かつて哲学者・田辺元は、「ブルジョア的自由」と「共産主義的平等」との理念的対立を媒介統一する原理として「友愛」を考え、その政治的実践を社会民主主義に期待しました。しかし、マルクス主義の非人間性と歴史的不毛性を指摘してきた武藤光朗は、1991年のソ連・東欧共産主義システムの崩壊後、マルクス主義を連想させる社会民主主義よりも「友愛民主主義」を提唱します。「友愛民主主義」は、日本の自由で民主的な労働運動の歴史的原点である友愛会に繋がるものであり、それはキリスト教的隣人愛と仏教的慈悲心に繋がるとの武藤光朗の想いがあったのです。
以上