友愛労働歴史館のある友愛会館の前身は日本労働会館で、さらにその前身は明治27年に建設されたユニテリアン教会・惟一館です。惟一館(日本労働会館)は1945(昭和20)年5月の東京山の手大空襲で焼失し、友愛会以来の労働運動・社会運動に関する資料は全て失われました。
現在、友愛労働歴史館が所蔵する資料は戦後、個人・団体から寄贈されたものが中心です。所蔵写真の一つに1930(昭和5)年9月23日、社会民衆党本部前で来日中のベルギー社会党委員長・第二インター議長のヴァンデルベルト氏夫妻を歓迎する1枚があります。
写真にはヴァンデルベルト氏夫妻と安部磯雄、赤松克麿、小池四郎、赤松常子、赤松明子、阿部静枝・阿部温知夫妻らの社会民衆党幹部が写っています。総同盟の松岡駒吉(総同盟会長、衆議院議長など)も前列にいます。
社会民衆党(安部磯雄委員長・片山哲書記長)は友愛会・総同盟が支援した無産政党で1926(大正15)年に結党し、総同盟から鈴木文治・松岡駒吉・西尾末廣らが党役員に就任しています。社会民衆党はその後、中間派無産政党と合同し、社会大衆党へと発展。戦後は日本社会党(右派)・民社党へと続く、民主的社会主義政党の源流です。
社会民衆党機関紙「社会民衆新聞」の当時の記事「社民館の建設とその維持に就て」には、「和田操君の好意と努力によつて完成」したと記されています。和田操とは和田印刷所などを経営していたクリスチャンで社会民衆党員、東京市議などを務めた人物。戦後、民社党から衆議院議員を5期務めた和田一仁(1924.7.30~2010.12.8。クリスチャン、民社党副書記長、西尾末廣秘書など)の父です。