1月10日(木)と29日(火)の両日、友愛労働歴史館に産業考古学の研究者(慶応義塾大学)が来館され、明治時代に建設されたユニテリアン教会・惟一館(設計者:ジョサイア・コンドル、現在の友愛会館)の煉瓦塀の調査・研究を行いました。そこで惟一館の煉瓦塀や煉瓦について紹介いたします。
福沢諭吉らの招聘により来日した米国ユニテリアン協会のクレイ・マッコーレイ牧師は、1894(明治27)3月、東京・芝の地にユニテリアン教会・惟一館を建設しました。記録によれば惟一館は木造二階建てで、その周囲には煉瓦塀が張り巡らされており、「敷地は丈夫で見栄えの良い壁で囲まれており、壁は約3フィートの高さの石で覆ったレンガと、装飾的な鉄製の上部構造から成っている」とされています。
1912(大正元)年8月、惟一館においてユニテリアン教会の職員・鈴木文治が友愛会(後の総同盟)を創立し、現在の連合につながる労働運動がスタートします。総同盟は1930(昭和5)年8月、惟一館を買収して日本労働会館としますが、この頃には一部の煉瓦塀は撤去され、また「装飾的な鉄製の上部構造」も失われています。惟一館は1945(昭和20)年5月、東京山の手大空襲で焼失します。
戦後、一部の煉瓦塀は残り、総同盟会館・全繊同盟会館時代(1949年~1964年)を経て、友愛会館・三田会館時代(1964年~2009年)まで現存していました(左写真)。しかし、2012年の新しい友愛会館建設により煉瓦塀は全て撤去されました。そして地下から掘り起こされた煉瓦の一部は、「日本労働運動発祥之地」石碑を囲む花壇に再利用されました。また、一部の煉瓦はブロックに切り出され、ユニテリアン教会・惟一館を偲ぶモニュメントとして、「日本労働運動発祥之地」石碑の横に設置されました(右写真)。
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