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企画展「総同盟から総評へ」のポイント、総評はなぜ国際自由労連ICFTUに加盟しなかったのか!

企画展「総同盟から総評へ」のポイント、総評はなぜ国際自由労連ICFTUに加盟しなかったのか!

友愛労働歴史館は現在、企画展「総同盟・産別会議から新産別・総評へ―1946~1950年の労働運動―」(2020.7.6~12.8)を開催しています。戦後の日本の労働運動はGHQによる民主化、労働運動の解放によりスタートし、1946(昭和21)年に総同盟(日本労働組合総同盟)と産別会議(全日本産業別労働組合会議)が誕生します。

産別会議は戦後労働運動を主導しますが、1947年の2.1スト失敗や同4月の参議院選挙・衆議院選挙での日本共産党の敗北を契機に、共産党の組合支配に反対する民主化運動が起きて1949年12月に新産別、1950年7月に総評(日本労働組合総評議会)が結成されます。

本企画展は総同盟・産別会議の結成から新産別・総評の結成までの5年間(1946~1950)を中心に日本労働運動について解説していますが、ポイントの一つは総評の国際自由労連ICFTU加盟問題です。第二次世界大戦後、世界は西側自由主義国と東側共産主義国が対立し、「冷戦」状態にありました。1950年には北朝鮮が韓国に武力侵入し、朝鮮戦争が勃発しています。総評結成当時の国際労働運動も東側の世界労連WFTUと西側の国際自由労連ICFTUが対立しており、総評は西欧寄りのICFTU加盟を確認して結成されました。

しかし、1951年の第2回大会で総評は「平和4原則」を確認してICFTU加盟を否決し、「ニワトリ(親西側)からアヒル(反西側)」になったと評されました。要因は色々考えられますが、直接には当時ICFTUに加盟していた国労と日教組が反対したからとされています。「なぜICFTU加盟に反対するのか」と不思議がられたようです。

その後、総評からICFTU系の組織が離脱して全労・同盟(日本の中央労働団体で唯一、国際労働組織に加盟)を結成するなど、いわゆる労働4団体(総評・同盟・中連・新産別)の時代に入ります。総評は日本最大の中央労働団体として屹立し、その影響力から「昔陸軍、今総評」と呼ばれました。

結成から40年後の1989年、総評はICFTU加盟を決定し、連合(総評・同盟・中連・新産別が統合)に合流します。第1回大会で加盟を確認し、第2回大会で加盟を否決して特殊日本的労働運動を歩んでから40年、ようやく総評は原点回帰したのです。

 

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