戦前、労働運動・農民運動で活躍し、戦後は政治家・生協運動家として知られる井堀繁雄(1902.9.30~1983.7.18)は、明治35年9月30日に福岡県苅田町で生まれています。井堀は1921(大正10)年の川崎・三菱争議に参加し、禁固刑を受けて解雇されますが、同争議を指導したキリスト教伝道者・賀川豊彦を終生、慕っていました。
井堀はその後、上京し、総同盟東京鉄工組合で活躍します。彼の活動拠点は埼玉県川口。ここは戦前からの鋳物の町で、吉永小百合主演「キューポラのある街」で知られています。今は人口60万人を有し、高層マンションが立ち並ぶ埼玉県有数の中核都市です。
井堀繁雄は戦前、川口の鋳物工場で起きた数多くの労働争議を指導しており、それは著書『川口鋳物業に於ける労働運動十年史』にまとめられています(写真は井堀が指導した昭和5年の王子鉄工所争議)。また、彼は日本農民組合総同盟の結成に参加し、埼玉農民運動でも活躍。戦後は日本社会党・民社党の衆議院議員として活躍する一方、生協運動・協同組合運動に取り組んでいます。
友愛労働歴史館は現在、井堀繁雄研究会(代表:梅澤昇平尚美学園大学名誉教授)を設置し、井堀繁雄日記のデジタル化作業や彼の生涯を描いた『社会運動家・井堀繁雄―労働運動・生協運動に生きた生涯―』(仮題)の執筆・編集に取り組んでいます。井堀に興味のある方は前掲書の他、40年前に出版された『友愛春秋―井堀繁雄と、その仕事』(日経事業出版、1980.9.30)をご覧ください。
コメントを残す