社会主義研究会(後の社会民主党)と友愛会(現在の連合)の誕生により日本社会主義運動と日本労働運動の発祥の地とされるユニテリアン教会・惟一館(現在の友愛会館。東京・芝)は、明治27(1894)年3月25日に献堂式(開館式)を迎えています(写真参照)。献堂式では横井時雄、久米邦武、福澤諭吉らが祝辞を述べています。
ユニテリアン教会のクレイ・マッコーレイ牧師は、報告書「惟一館献堂式全体報告・惟一館建設に当たって」の冒頭で、「このパンフレットは、日本におけるユニテリアンの本部、惟一館の建設ならびに、使節団の支援により設立された先進学院についての記録として、特別に準備されたものです」と記しています。また、パンフレットは最後に「惟一館の完成は、本国での限りない関心と一層の支援が必要なこと、そしてこの国の人々や日本のユニテリアンに、より効果的な影響を与える時代が始まった事を示しています。米国ユニテリアン協会の保護の下、我々の活動で、人間の福祉以上に大事なものはありません。即ち、魂の無知、倫理的混乱と堕落、社会的無秩序から人を守ることです。それは合理的かつ生命体としての神、個人の魂を意識すること、精神的かつ倫理的規定、個人と社会を明確に認識することを意味します。実際、使節団は、宗教と道徳のために、西洋から日本へ送られた使者です。また物理学や力学的発明、産業などの新しい文明の重要性を説明すると、日本人はそれらを学び活用することを、心から望みます。」と結んでいます。
友愛会(後の総同盟。現在の連合)は昭和6(1931)年に惟一館を買収し、日本労働会館とします。その年の8月27日に行われた日本労働会館(旧惟一館)開館式で松岡駒吉理事長が報告した「財団法人日本労働会館設立経過報告書」は、「惟一館の歴史」で「惟一館は、自由基督教の伝道を目的とし、明治27年に建設されたものであるが、爾来40年間、日本の社会運動に非常な貢献をいたしました。我国の社会思想、社会運動は、この建物より出でたと云うも過言ではないのであります。即ち福沢諭吉、片山潜、安部磯雄、吉野作造の諸氏は、この惟一館と密接な関係を有し、自由主義、社会民主主義、無政府主義、共産主義等々の思想も、この建物を中心に転回いたしました。我国最初の無産政党たる安部磯雄氏等の社会民主党は、明治34年結党直後に解散を命ぜられましたが、その結党準備は此処で行われました。鈴木文治氏により大正元年8月、此処で創立された友愛会は、現在、日本労働総同盟として活動して居りますが、周知の如く我国労働組合の左、右、中間各派の主流は、労働総同盟より分裂したものであり、この各派組合を中心に、各無産政党が対立発生いたしました。この外、農民組合運動、労働者教育運動も、源を此処に発している」と記しています。
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