2019年3月15日は労働運動家・政治家・評論家として活躍した和田春生(1919.3.15~1999.10.17)の生誕100年に当たります。友愛労働歴史館はこれを記念し、開催中の企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)の一部に、本日より「和田春生」コーナー(2019.3.15~4.15)を設けています。
和田春生(1919.3.15~1999.10.17)で特筆すべきは、①総評の結成、②全労の結成、③三池争議の指導でしょう。船乗り、航海士の和田は太平洋戦争で何度も乗船が撃沈され、漂流しています。戦後、海員組合に入り、1950年に総評結成準備会へ出向し、「基本綱領」「規約」を分担執筆するなど、民主的労働組合の総評結成に全力投球します。
しかし、その後の総評の容共化、国際自由労連加盟否決では主流派を厳しく批判。1952年秋の電産・炭労争議の後は、その指導方針を批判した「4単産声明」を取りまとめます。海員組合は全繊同盟、全映演とともに総評を脱退、1954年に再建総同盟とともに全労会議を結成。和田春生は滝田実議長(全繊同盟)とコンビを組み、10年間書記長を務めます。
1960年の三井三池争議では、単なる解雇反対闘争を「社会主義革命の実験闘争」へと変容させた「向坂イズム(労農派マルクス主義)」を批判。闘争至上主義で突っ走る三池労組に対し、支援を求めてきた民主化グループを支えます。
全労を理論面、行動面を支えた和田春生に対し、後に滝田実議長は「あまりに理論が鋭く透徹している」と評しています。和田は『労働運動入門』『労働運動の新時代』などを著し、民主的労働運動の発展に貢献しました。
1969年、民社党公認で衆議院議員に当選。1974年には参議院議員となり、政治家としても活躍。政界引退後は政治評論家・ニュースキャスターとしても活躍しています。1990年10月17日に死去。享年80歳。
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