朝日新聞デジタル版の言論サイト「論座」の「日本会議と共闘する労働戦線は、どのように作られてきたか」の中に、友愛労働歴史館が登場しています。
また、5月23日の東京新聞夕刊「論壇時評」の「連合と右派運動―民社・同盟系の動向がかぎ」(中島岳志東京工業大学教授)は、朝日新聞「論座」に触れつつ、当館企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)に言及しています。
詳細は省きますが、中島教授は当館の展示が「社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近は、展示の中では強調されていない」と記しています。この点について友愛労働歴史館として一言、述べたいと思います。
社会大衆党は1932(昭和7)年、日本労農党(戦後の社会党中間派)系と社会民衆党(総同盟が支援した無産政党右派。戦後の社会党右派・民社党の前身)系が合同してできた無産政党。当時、社会大衆党の主導権を握っていたのは旧日労系で、旧社民系は少数派でした。
そして国家社会主義を志向する旧日労系と、社会民主主義の旧社民系は、産業報国会問題などで対立。昭和15年の斎藤隆夫粛軍演説問題で旧社民系は、主流派の旧日労系により社会大衆党を除名されます(『幻の勤労国民政党』梅澤昇平著を参照)。
このような経緯から友愛会系労働組合の歴史資料館である当館にとって、社会大衆党は汚点。わざわざ企画展で、日労系が主導した「社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近」を「強調」する理由はないのです。
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