本年2月28日は、歌人・評論家・社会運動家・政治家として知られた阿部静枝(1899.2.28~1974.8.31)の生誕120年です。阿部静枝(旧性二木志つえ)は宮城県の生まれ。東京女子高等師範学校在学中、尾上柴舟に師事し、林うた名で歌誌『水甕』に作品を発表。1923(大正12)年、短歌結社ポトナムに参加しています。
『みやぎの杜の文学者たち』(仙台文学館・1999年)は、阿部静枝を木俣修・石原純・原阿佐緒とともに「こころ熱き歌詠みたち」と呼び、「理知の歌人」と紹介しています。1926(大正15)年に第一歌集『秋草』を刊行。以後、『霜の道』、『冬季』、『野道』、『地中』、そして1974年の『阿部静枝歌集』まで6冊を刊行しています。
戦前、阿部静枝はポトナム同人で活躍する一方、社会民衆党・社会民衆婦人同盟に所属し、婦人解放運動に取り組んでいます。一緒に行動した仲間に赤松明子(吉野作造二女、赤松克麿夫人)や赤松常子(戦後、参議院議員)らがいます。
阿部静枝は戦後もポトナムに所属しつつ、豊島区で区議会議員を務めています。民社党系の日婦の会や同盟系の全国婦人の集い、全国文化運動協会などで活躍。1974年に逝去すると当時の民社党委員長・春日一幸は、以下の弔辞を述べています。
「阿部さん、あなたは歌人として高名であられまし たが、同時に民主社会主義運動の指導者として、 また婦人解放運動の指導者として数多くの業績をのこされました。昭和初期から夫君阿部温知氏とともに社会運動 に挺身され、社会民衆党、社会大衆党、さらに戦後の社会党、民社党を通じ民主社会主義の道一筋を歩んでこられました。短歌を通じて労働組合における文化活動の発展 に寄与すること多大でありました。数多くの労働組合で短歌の指導に当られ、文化活動に対する労働者の目を大きく開いたのであります。また民社党中央機関紙『週刊民社』創刊以来歌壇を担当され、民主社会主義運動に従事する人々に心の糧を与えてくれました。 阿部さん長い間有難うございました。これで永の御別れと致します。安らかにお眠り下さい。」
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