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渋沢栄一・添田敬一郎ら「協調会宣言」を発表する、1920(大正9)年11月8日!

渋沢栄一・添田敬一郎ら「協調会宣言」を発表する、1920(大正9)年11月8日!

企業・産業における資本家と労働者の協調をめざす協調会(徳川家達会長・渋沢栄一副会長ら)は大正8年、内務省の呼びかけと財界・大企業の出資により設立されました。協調会について広辞苑は、「労資協調を目的とし、労資紛争の防止・調停、社会問題の解決・調査・研究などを事業とした財団法人。1919(大正8)年東京に創立、第二次大戦後解散。」と解説しています。

見え見えの労資協調を目指していた協調会ですから、当時の労働者・労働組合は当然に反対しました。副会長の渋沢栄一は旧知の鈴木文治友愛会会長に協力を要請しますが、鈴木は拒否します。渋沢はもともと「労資は対等、労働組合は法律できちんと認める」との立場。それ故、彼は内務官僚と資本家が組織した協調会では、労働者・労働組合には受け入れられないと考えていました。

1920(大正9)年、渋沢栄一は役員を更迭するとともに、進歩派内務官僚の添田敬一郎を招いて協調会の改革に乗り出します。渋沢と添田がまとめ、1920年11月8日に発表されたのが「協調会宣言」。そこには「人間は常に最終の目的でなければならぬ。人格の尊重、此れが協調主義の根帯である。」とする人格主義が謳われていました。

元々、友愛会・総同盟は友愛的・人格向上的労働組合主義ですから、「人格の尊重」を掲げる協調会とは親和性がありました。友愛会は渋沢と添田が主導した協調会改革を評価し、次第に連携を深めていきます。それは渋沢が死去し、添田が追放された1930(昭和5)年頃まで続きました。

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