1947(昭和22)年に組閣された日本社会党中心の片山連立内閣。この片山内閣を支えた3名の学者・大臣の一人に、森戸辰男(文部大臣、学者、教育者、文化功労者、衆議院議員)がいます。
片山内閣で文部大臣を務めた森戸辰男(1888.12.23~1984.5.28)は、広島県福山市生まれ。東京帝国大学を卒業後、東京帝大経済学科助教授。1920(大正9)年の「森戸事件」で有罪となり、出獄後、大原社会問題研究所に勤務。大阪労働学校、神戸労働者学校に関わり、大阪で活躍していた西尾末廣(友愛会・総同盟の活動家。後に政治家、片山内閣の官房長官)らと親しくしています。
1945年に日本社会党へ参加し、1946年の衆議院選挙で当選。片山内閣・芦田内閣で、文部大臣を務めています。森戸辰男は1949年の社会党再建大会で起きた「森戸・稲村論争」の当事者で、本論争は右派を代表する森戸辰男の国民政党論と、左派の稲村順三の階級政党論が激突したものです。
森戸辰男は1950年に政界を去り、広島大学初代学長に就任。その後、中央教育審議会会長などを歴任しています。
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