友愛会(大正元年、鈴木文治により創立)系労働組合の歴史資料館である友愛労働歴史館には、友愛会を支えた安部磯雄、賀川豊彦、新渡戸稲造、吉野作造、クレイ・マッコーレイ牧師(ユニテリアン教会)、キャロライン・マクドナルド女史(日本YWCA創設者)らの肖像画がとともに、福澤諭吉の肖像画も掲げられています。福澤諭吉と友愛会、鈴木文治は何らかの関係があるのでしょうか。
1.福澤諭吉はユニテリアンを支え、友愛会誕生のきっかけを創った
明治20(1887)年、福澤諭吉らは米国ユニテリアン協会のアーサー・メイ・ナップ牧師を招聘。そして明治22(1889)、クレイ・マッコーレイ牧師らが来日し、明治27(1894)年には福澤らの支援を得て、東京芝の三田四国町にユニテリアン教会・惟一館を建設します。彼らは標語「至誠・正義・雍穆」を掲げ、ユニテリアン・ミッションをスタートさせます。
後に惟一館で大正元(1912)年、鈴木文治(当時、ユニテリアン教会職員、マッコーレイ牧師秘書)が友愛会(後の総同盟、同盟。現在の連合)を創立し、日本の労働運動がスタートします。友愛会創立は、「ユニテリアン・ミッションの一つ」とされています。
こうした経緯からもしも福澤諭吉がいなければ、ユニテリアンが惟一館を東京・芝の地に建設することはなく、惟一館がなければ鈴木文治が友愛会を創立することもなかった、と推測されます。この意味で福澤諭吉は、友愛会誕生のきっかけ創った人とされているのです。
2.福澤諭吉の「独立自尊」は、友愛会綱領と通底している
福澤諭吉が「友愛会ゆかりの人」とされている二つ目の理由は、彼の「独立自尊」という考えが、鈴木文治の友愛会綱領と通底していることによります。明治33(1900)年、福澤諭吉は明治政府の「教育勅語」に反発し、門下の人々に「修身要領」をまとめさせます。この「修身要領」の基調となっているのが「独立自尊」で、これは「人に頼らず己の力で事を行い、自己の人格・尊厳を保つこと」とされ、「福澤諭吉の教えの根本を一言で言い表したもの」とされています。
鈴木文治は友愛会綱領第2項で「我等は公共の理想に従い、識見の開発、徳性の涵養、技術の進歩を図らんことを期す」と書いていますが、これは「人間性と職業能力の向上」を謳ったものとされ、福澤諭吉の「独立自尊」に通底しているとされます。鈴木文治は後に慶応義塾で行った講演の中で、「福澤諭吉の「独立自尊」に大いに共感している」と述べており、この意味で福澤諭吉は友愛会の理念的先達者とされています。
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