詩人・加藤一夫(1887.2.28~1951.1.25)の名前を知る人は、今は少ないかもしれません。インターネットの「ウェキペディア」は、加藤一夫について「和歌山県生まれ、明治学院卒、大正6年「土の叫び地の囁き」を刊行し民衆詩派の詩人として文壇に登場する。大正9年アナーキズムを掲げる『自由人連盟』などに参加し検挙される。のち転向して宗教に入ることを宣言して農本主義、さらに天皇中心の思想をとなえるに至る」と記しています。
加藤一夫の作品は1915(大正4)年から1948(昭和23)年に数多く出版されていますが、代表作『民衆芸術論』が出版されたのは100年前の1919(大正8)年です。
「ウェキペディア」は加藤一夫について、「大正9年アナーキズムを・・・のち転向して宗教に入る」と記していますが、彼はキリスト教系の学校である明治学院の卒業で、明治45年頃から東京・芝のユニテリアン教会・惟一館(現在の友愛会館)に出入りしています。加藤とキリスト教の関係は、「のち転向して宗教に入る」とされた以前からあったのです。
事実、彼はユニテリアン教会機関誌『六合雑誌』に、多くの評論を発表しています。当歴史館が復刻したデジタル版『六合雑誌』(SDカード版12000円)を「加藤一夫」で検索すると、『六合雑誌』第374号(明治45年3月)「あこがれの国へ」から同第462号(大正8年7月)の新刊批評「民衆芸術論」まで47本の評論が掲載されています。
この後、加藤一夫は大正9年1月に『一隅より』を創刊しています。加藤が言うこの「手紙代用のリーフレット」は、その年の7月にかけて第6号まで発行されており、毎号4頁程度の簡素な刊行物でした。『一隅より』は1994年、緑蔭書房から復刻されています(写真参照)。
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