社会思想家、民社研(現政策研究フォーラム)元議長の武藤光朗(1917.3.17~1998.7.25)氏が死去され、今日で20年となります。武藤光朗氏は 國學院大學、中央大学などで教鞭をとり、評論家としても活躍。晩年は自らを「社会思想家」と称していました。
武藤光朗氏は1966年、民社研議長に就任し、民主社会主義陣営の理論的リーダーの一人として活躍し、当時の民主的労働運動のリーダーに大きな影響を与えています。この頃、武藤光朗氏は「民主社会主義による自由の二重の反抗」を呼び掛け、自由放任の資本主義経済がもたらす非人間性への抵抗と、共産主義・全体主義がもたらす非人間性への抵抗を訴えました。
また、武藤氏は北ベトナムによる南ベトナムの共産化により、1975年頃から多くの難民がボートピープルとして国外に逃れた時、彼ら難民がもたらす「自由と人権のメッセージを生かしたい」と、インドシナ難民連帯委員会(現アジア連帯委員会CSA)の活動に取り組みました。
そして武藤光朗氏は1991年のソ連・東欧共産主義システムの崩壊後、新たに「自由」と「平等」を媒介・統合する基本理念の「友愛」に注目し、「友愛民主主義」を提唱しています。武藤光朗氏の3つのメッセージとは、①民主社会主義による自由の二重の反抗、②インドシナ難民がもたらす自由と人権、③自由と平等を統合する「友愛」、「友愛民主主義」、です。
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