友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

TEL.050-3473-5325

〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

友愛労働歴史館が本日から再開、ホテル三田会館も営業再開しました、2月8日(月)!

友愛労働歴史館は新型コロナウイルスによる非常事態宣言を受け、昨年末から本年2月7日(日)まで臨時休館いたしましたが、本8日より再開いたしました。どうぞよろしくお願いいたします。

現在、友愛労働歴史館は常設展「日本労働運動の100年余―友愛会・総同盟を中心とするー」(2013.03.18~)と、公益財団法人富士社会教育センター企画展「労働運動と教育運動」を開催中です。

また、展示室の一角に福澤諭吉没後120年を記念した特別展示コーナー「福澤諭吉とユニテリアン教会・惟一館」(2021.2.1~2.28)を設け、展示・解説中です。併せてよろしくお願いいたします。

なお、昨年末から2月7日(日)まで休館中のホテル三田会館は、8日(月)から営業を再開いたしました。どうぞご利用ください。友愛労働歴史館はホテル三田会館の収益により維持されています。

福澤諭吉没後120年を記念し解説スライド「福澤諭吉とユニテリアン教会・惟一館」を展示、2月1日~28日!

2021年2月3日(水)は1万円札でおなじみの福澤諭吉(1835.1.10~1901.2.3)の没後120年になります。福澤は慶応義塾の創立者で蘭学者、著述家、教育者として知られており、また「独立自尊」の言葉が有名です。彼の戒名は大観院独立自尊居士(だいかんいんどくりつじそんこじ)で、「独立自尊」が使われています。

友愛会系労働組合の歴史資料館である友愛労働歴史館は、友愛会(後の総同盟、現在の連合)を創り育てた人や、友愛会を支えた人たちを顕彰しています。例えば渋沢栄一、新渡戸稲造、安部磯雄、内ケ崎作三郎、賀川豊彦らです。しかし、友愛会系労働組合・労働運動とは直接の関係がない福澤諭吉も「ゆかりの人」として顕彰しています。

それは福澤諭吉が友愛会を誕生させたユニテリアン教会を支えたことによります。福澤はユニテリアンではありませんが、米国ユニテリアン協会からユニテリアンを招聘し、ユニテリアン教会・惟一館を支えた人。それ故、ユニテリアンゆかりの友愛労働歴史館は福澤諭吉を「ゆかりの人」と位置づけ、その肖像画や資料をかざっているのです。

福澤諭吉没後120年にあたり友愛労働歴史館は、福澤とユニテリアンの関係を解説するための「福澤諭吉」コーナーを設けて資料の公開を行っています。主な展示物は①福澤諭吉肖像画(カラー)、②同扁額「独立自尊」、③同色紙「独立自尊」、④同レリーフ、⑤福澤諭吉著書や福澤諭吉解説本などです。

「福澤諭吉」コーナーの開設時期は、2021年2月1日(月)から2月28日(日)。但し、当館のオープンは原則、平日であり、また新型コロナウイルスの「緊急事態宣言」のため2月7日(日)まで臨時休館しています。ご来館、ご見学の方は留意してください。

友愛労働歴史館は新たな「緊急事態宣言」を受け、2月7日(日)まで休館いたします!

友愛労働歴史館は昨年12月14日から富士社会教育センター企画展「労働運動と教育運動」を開催中ですが、新型コロナウイルス対応のため12月26日(土)から本年1月11日(月)の間、臨時休館いたしました。

その後、政府は1月7日(木)に新型コロナウイルス対応のための新たな「緊急事態宣言」を首都圏の一都三県に発令し、期間を1月8日(金)から2月7日(日)までの31日間としました。これを受け友愛労働歴史館は更に2月7日(日)まで休館延長をすることになりました。ご了承をお願いいたします。なお、対応して開催中の富士社会教育センター企画展「労働運動と教育運動」(2020.12.14~2021.1.29)の閉会日を延期いたします。詳細は後日、ご案内いたします。

友愛労働歴史館は12月26日(土)から1月11日(月)まで休館します!

友愛労働歴史館は現在、富士社会教育センター企画展「労働運動と教育運動」(2020.12.14~2021.1.29)を開催中ですが、12月25日(金)で一旦、閉館します。その後は新型コロナウイルス対応のため26日(土)から1月11日(月)の間、年末年始休館を兼ねた休館となり、開館は1月12日(火)10:00からです(写真は友愛労働歴史館が入る東京・芝の友愛会館。前身は旧ユニテリアン教会・惟一館)。

なお、富士社会教育センター企画展「労働運動と教育運動」(2020.12.14~2021.1.29)は、友愛労働歴史館の開館日程に合わせ、会期を2月12日(金)まで延長いたします。

富士社会教育センター企画展「労働運動と教育運動」がスタート、12月14日!

友愛会館8階の友愛労働歴史館展示室において12月14日(月)、富士社会教育センター企画展「労働運動と教育運動」(2020.12.14~2021.1.29)がスタートしました。企画展「労働運動と教育運動」は「第1部 前史・戦後労働者教育」、「第2部 生涯学習社会での教育運動」、「第3部 多様化する教育内容」の三部構成です。

今回の富士社会教育センター企画展は、令和元年に創立50年を迎えた公益財団法人富士社会教育センターが企画・運営している特別展示会で、友愛労働歴史館は展示室を提供し協力を行っています。

富士社会教育センターは1969年、「歴史を創造する新しい政治理念と逞しい行動力が必要」とする民社党第二代委員長・西村栄一によって創立され、1971年に日本労働者教育協会(1951年創立)と合併しました。以来、河合栄治郎や森戸辰男らの教えを受け継ぎ、民主的労働運動の労働者教育を担い、また生涯学習時代の社会人教育を担ってきました。

企画展「総同盟・産別会議から新産別・総評へ―1946~1950年の労働運動」が閉会、12月14日から新企画展「労働運動と教育運動」を開催!

友愛労働歴史館が7月6日(月)から開催していた企画展「総同盟・産別会議から新産別・総評へ―1946~1950年の労働運動」は、8日に閉会いたしました。皆様のご来館に感謝いたします。
12月14日(月)からは公益財団法人富士社会教育センターによる企画展「労働運動と教育運動」(2020.12.14~2021.1.29)を開催します。1921(大正1921(大正10)年に東京の芝・本所・日暮里でわが国最初の労働学校が開校してから100年を迎えます。「自由にして民主的な労働運動」発展のための労働者教育運動の歴史を紹介します。当館初の試みとして友誼団体富士社会教育センターに展示スペースを提供しての開催です。
企画展は第1部「前史・戦後労働者教育」、第2部「生涯学習社会での教育運動」、第3部「多様化する教育内容」の三部構成となっています。

友愛労働歴史館が所蔵する資料・書籍の閲覧を希望する方は、事前にご連絡・ご相談を!

友愛労働歴史館は友愛会(現連合)系労働組合の歴史資料館で、①友愛会(大正元年創立)から同盟までの民主的労働運動、②社会民衆党(大正15年結党)から戦後の日本社会党・民社党までの民主的社会主義運動、そして③ユニテリアン教会・惟一館(明治27年建設)ゆかりの社会運動、に関する資料の収集・管理、調査・研究を行っています。

当歴史館は特に同盟(大正元年の友愛会の流れを汲み、1987年まで存在した中央労働団体)と民社党(大正15年の社会民衆党の流れを汲み、1994年まで存在した民主社会主義政党)の資料・書籍が充実しています。それは両団体が解散した後、その継承団体(同盟⇒友愛会議、民社党⇒民社協会)から当館にその全てが寄贈されたからです。

同盟や民社党の資料・書籍に関心のある方は、どなたでも自由に閲覧することができます。事前にEメールか電話で友愛労働歴史館まで申し込んでください。当館書庫にある閲覧コーナーで原則、平日10:00~17:00の間、自由に閲覧することができます。なお、毀損を防止するため資料・書籍の館外貸し出しやコピーサービスには対応していません。但し、資料・書籍を毀損しない方法、例えばデジカメ・スマホによる撮影を行うことができます。当館担当者にご相談ください。友愛労働歴史館Tel 050-3473-5325、 E―Mail  yuairodorekishikan@rodokaikan.org

武藤光朗(社会思想家)の蔵書は鎌倉女子大学図書館「武藤光朗文庫」で保管!

まもなくイギリス出身のシンガーソングライター・ギタリストで、ビートルズのジョン・レノン(1940~1980年)が殺害されてから40年となります。ジョン・レノンで思い出すのは、社会思想家・武藤光朗(1914~1998)のことです。

武藤光朗はヤスパースの研究者で、中央大学や早稲田大学で教鞭をとった学者・社会思想家。民主社会主義研究会議(現政策研究フォーラム)議長やインドシナ難民連帯委員会CSIR(現アジア連帯委員会CSA)会長などを務めています。友愛労働歴史館も武藤光朗の『社会主義と実存哲学』、『経済哲学』Ⅰ~Ⅲ、『例外者の社会思想』などを保管し、一般公開しています。

武藤は著書や講演でしばしばジョン・レノンの「レボリューション(革命)」を取り上げ、自由放任の資本主義経済がもたらす非人間性を批判し、格差・貧困・不平等・隷属への反抗を呼び掛けました。

その武藤光朗の蔵書約900冊が現在、鎌倉女子大学図書館に「武藤光朗文庫」として保管されています。「武藤光朗文庫」について解説した「図書館『武藤光朗文庫』の開設」を掲載いたします(文責:友愛労働歴史館・間宮悠紀雄)。

友愛会が東京労働講習所(学校形式による労働者教育の初め)を開講、1920(大正9)年11月5日!

友愛会東京連合会は東京労働講習所を開講し、1920(大正9)年11月5日に第1回講習を開催しました。『総同盟50年史』(第一巻)は「東京連合会は、学校形式の組織的な教育機関として、東京労働講習所を設立した」と記し、「東京労働講習所は一週一回、三時間、三カ月をもって一期とし、二期、すなわち六カ月をもって修了する」と続け、「第一期は、聴講生45名で東京・神田錦町の女子音楽学校で開講された」と記録しています。

東京労働講習所は労働者の理論的研究を目的としたもので、講師および科目は、安部磯雄(経済学原論)、堀江帰一(経済学各論)、北沢新次郎(労働運動と社会思潮)、鈴木義男(法学通論)らでした。これは「学校形式による労働者教育の初め」(『20世紀年表』小学館)とされ、多くの受講生(例えば『女工哀史』の細井和喜蔵)が参加しました。

しかし、東京労働講習所は「官憲から一種の宣伝所のような誤解を受けたため、大正10年6月からは、友愛会は東京連合会の事業からきりはなし、新たに労働者教育協会を設立して、芝・惟一館に日本労働学校を開設」することになります(『総同盟50年史』)。労働者教育協会は、理事長鈴木文治、理事吉野作造、北沢新次郎、片山哲、会計監事星島二郎、監事赤松克麿、上条愛一、松下芳男らによって運営されました。

渋沢栄一・添田敬一郎ら「協調会宣言」を発表する、1920(大正9)年11月8日!

企業・産業における資本家と労働者の協調をめざす協調会(徳川家達会長・渋沢栄一副会長ら)は大正8年、内務省の呼びかけと財界・大企業の出資により設立されました。協調会について広辞苑は、「労資協調を目的とし、労資紛争の防止・調停、社会問題の解決・調査・研究などを事業とした財団法人。1919(大正8)年東京に創立、第二次大戦後解散。」と解説しています。

見え見えの労資協調を目指していた協調会ですから、当時の労働者・労働組合は当然に反対しました。副会長の渋沢栄一は旧知の鈴木文治友愛会会長に協力を要請しますが、鈴木は拒否します。渋沢はもともと「労資は対等、労働組合は法律できちんと認める」との立場。それ故、彼は内務官僚と資本家が組織した協調会では、労働者・労働組合には受け入れられないと考えていました。

1920(大正9)年、渋沢栄一は役員を更迭するとともに、進歩派内務官僚の添田敬一郎を招いて協調会の改革に乗り出します。渋沢と添田がまとめ、1920年11月8日に発表されたのが「協調会宣言」。そこには「人間は常に最終の目的でなければならぬ。人格の尊重、此れが協調主義の根帯である。」とする人格主義が謳われていました。

元々、友愛会・総同盟は友愛的・人格向上的労働組合主義ですから、「人格の尊重」を掲げる協調会とは親和性がありました。友愛会は渋沢と添田が主導した協調会改革を評価し、次第に連携を深めていきます。それは渋沢が死去し、添田が追放された1930(昭和5)年頃まで続きました。