明治22(1889)年、福澤諭吉や金子堅太郎らの招聘により来日した米国ユニテリアン協会のクレイ・マッコーレイ牧師らは明治27(1894)3月25日、東京・芝の地にユニテリアン教会・惟一館(設計・ジョサイア・コンドル)を建設し、標語「至誠・正義・雍穆」を掲げ、自由基督教の活動拠点としました。
ユニテリアン教会は仏教徒を教会長に招き、ブッダ・孔子・ソクラテス・イエスの「四大聖人」画を飾ったとされています。
ユニテリアン教会のメンバーは、後に教会を離れ、①政治・社会運動の分野、②教育や文学、著述の分野に進んでいきました 。①政界に進んだメンバーに小山東助、星島二郎、永井柳太郎、内ヶ崎作三郎、安部磯雄、河上丈太郎、大山郁夫がおり、労働運動に進んだメンバーに鈴木文治、松岡駒吉、市川房枝がいました。
また、学校教育・文学の分野では内藤濯、今岡信一良、岡田哲蔵、帆足理一郎、原一郎、工藤直太郎、三並良、会津常治、武田芳三郎、坪田譲治、吉田絃二郎、沖野岩三郎、一条忠衛、加藤一夫、岸本能武太らがいました。
彼らの進んだ道・方向、思想・立ち位置は、様々であり、幅広いものがあります。しかし、ユニテリアン精神を現実社会に実現しようとした点では共通とされています。それはユニテリアン・ミッションと呼ばれ、「自由の拡張」「社会問題の解決」でした。その拠点がユニテリアン教会・惟一館でした。
惟一館では明治31(1898)年、安部磯雄・村井知至らのユニテリアンにより社会主義研究会(後の社会民主党)が創立されました。また、大正元(1912)には鈴木文治(ユニテリアン教会職員)により友愛会(後の総同盟、同盟。現在の連合)が結成されました。このため惟一館(現在の友愛会館)は、日本社会主義運動と日本労働運動の発祥の地とされています。
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