友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

TEL.050-3473-5325

〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

友愛会関東大会で平沢計七の弾劾決議、平沢ら純労働者組合を結成、友愛会最初の組織的分裂!

友愛会関東大会で平沢計七の弾劾決議、平沢ら純労働者組合を結成、友愛会最初の組織的分裂!

1920(大正9)年8月31日に開催された友愛会第1回関東大会で、城東連合会会長・平沢計七(1889~1923)は左派アナキストグループにより弾劾された。

平沢計七は鈴木文治友愛会会長に近い穏健派で、友愛会本部の出版部長として機関誌『労働及産業』や『友愛婦人』などの編集を担当していた。しかし、大学出でインテリ急進左派の麻生久・棚橋小虎らと対立し、当時は城東連合会会長を務めていた。

この頃、友愛会内外でサンジカリストが急速に勢力を拡大しており、城東連合会にも進出していた。彼らは穏健派の平沢計七を弾劾し、査問委員会にかけた。平沢はその後、友愛会城東連合会の組合員約300名を率いて脱退し、純労働者組合を結成した。純労働者組合の結成は、友愛会創立以来、最初の組織的分裂であった。

平沢計七が自らの組織を「純労働者組合」と命名したところに、労働者・平沢計七の想いが伺える。『総同盟50年史』第1巻は、純労働者組合の「宣言」に言及し、「宣言に、『宣伝、執行等に知識階級の力を尊重なすものであるが、総ての決議権は純労働者自らが握る』と表明したことは、平沢らが麻生ー棚橋ラインにいかに煮湯を飲まされたかをもの語っている」と記述している。

平沢計七はまた、労働劇の先駆者・劇作家としても知られており、彼の作品をまとめた『一人と千三百人/二人の中尉・平沢計七先駆作品集』が、講談社文芸文庫の一冊として本年4月に出版されている。平沢計七の研究者・大和田茂氏が「解説」、「年譜」、著者目録」を担当している。

« »

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です