友愛労働歴史館は現在、企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催中ですが、協調会は今なお、労働運動関係者や研究者から悪しきイメージで語られることが多いようです。
協調会が①労働運動を抑制する目的で内務官僚や実業家により設立されたこと、②友愛会を“激励援助”していた渋沢栄一と対立する切っ掛けになったこと、③労働組合を解散に追いやった産業報国運動(写真は日本毛織中山工場産業報国会旗で「屈辱の産業報国会旗」の解説)を提唱したこと、などによります。
また、協調会は“労資協調”を連想させ、“労資協調”は労資(労使)の癒着、なれ合いの意味で受け止められていることもあります。友愛会系労組は今なお、“労資協調”の言葉を使わずに“労使協力”とか“労使協議”、“労使対等”などと表現しています。“労資協調”の言葉の意味にではなく、そこに込められた歴史的な経緯に気を付けているからです。
いま留意することは渋沢栄一が主導していた初期協調会(1920~1931年)が持っていた「人間は常に最終の目的。人格の尊重が協調主義の根帯」(「協調会宣言」)の理念に目を向けることでしょう。初期協調会の時代、立場も利害も異なる渋沢栄一と鈴木文治は、「人格の尊重」において通底し、共有していたのです。
コメントを残す