大正15(1926)年12月5日は、第一回普選を前に友愛会・総同盟ゆかりの人々が主導して結党した社会民衆党の創立93年です。社会民衆党は委員長に安部磯雄、書記長に片山哲を配し、総同盟の鈴木文治・松岡駒吉・西尾末廣らも参加した無産政党です。無産政党であり労働者基軸政党ですが、自らを勤労国民政党と規定していました。
この頃、無産3政党が誕生し、総同盟が支援した社会民衆党(社民党と略称。安部磯雄、片山哲、鈴木文治ら)は右派とされました。総同盟から分離した組合同盟が支援したのが中間派の日本労農党(日労党と略称。麻生久、三輪寿壮、河上丈太郎ら)、そして評議会系が支えたのが左派の労働農民党(労農党と略称。大山郁夫ら)で、三党が鼎立し、昭和3年の第一回普選に臨みました。
写真は昭和5(1930)年、党本部前でベルギー総理大臣夫妻を迎えた社会民衆党の幹部たち。安部磯雄や松岡駒吉らとともに社会民衆婦人同盟の赤松明子(吉野作造二女)、赤松常子(総同盟本部。赤松克麿の妹。戦後、参議院議員)、阿部静枝(歌人。戦後、区議会議員)らもいます。
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