友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

渋沢史料館は3月27日 まで休館、当館「渋沢栄一と鈴木文治」展は12月24日まで!

「日本の近代資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一(1840~1931)の思想と行動を顕彰する渋沢史料館(東京北区飛鳥山公園。パンフレット参照)は、2019年9月1日(日)から2020年3月27日(金)までの間、リニューアル工事のため休館となっています。

一方、友愛会系労働組合の歴史資料館である友愛労働歴史館(東京・港区芝。友愛会館8階)は、渋沢栄一と鈴木文治・友愛会の関係を解説する企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)は、12月24日まで開催中です。

また、企画展と連動した講演会を11月6日(水)14時~16時、友愛労働歴史館・研修室で開催いたします。テーマは「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」、講師は渋沢史料館の井上淳館長です。

渋沢栄一は実業界引退後(1916年・77歳)、「老後の三大事業」として「経済と道徳の一致」「資本と労働の調和」「細民救恤手段の統一」の活動に取り組みます。その「資本と労働の調和」を具体化したのが1919(大正8)年の協調会設立です。しかし、渋沢栄一と鈴木文治・友愛会の関係は1915(大正4)年、米国カ州で起きていた日本移民排斥運動を契機に生まれています。講演会では井上淳館長より渋沢栄一と鈴木文治・友愛会の関係について報告を受けます。参加希望者は友愛労働歴史館までEメールyuairodorekishikan@rodokaikan.orgで申し込んでください。

 

研究会「民主社会主義者・中村菊男の学問と実践」を開催、9月11日!

友愛労働歴史館は9月11日(水)15時から第21回政治・社会運動史研究会を、当館研修室で開催しました。テーマは「民主社会主義者・中村菊男の学問と実践」、報告者は駒澤大学法学部教授の清滝仁志氏。

民主社会主義者と呼ばれた中村菊男(1919.11.11~1977.5.17。大学教授、政治学者)は、慶応大学で教鞭をとる傍ら多くの著作を発表しています。1952年に民主社会主義連盟(後の民主社会主義研究会議、現在の政策研究フォーラム)の結成に参加するなど、日本社会党右派・民社党の政治的、思想的ブレーンとしても活躍しました。

報告者の清滝仁志教授は、駒澤大学『駒澤法学』に中村菊男(慶応大学教授、故人)を取り上げた論文「国家と人間の政治学―民主社会主義者・中村菊男の思想的考察―」を、2018年9月から連載しています。

研究会で清滝仁志教授はパワーポイントを活用しつつ、中村菊男の学問と実践について約60分に亘り報告。その後、参加者と質疑、意見交換を行いました。

日本最初の社会主義解説書『社会主義』刊行から100年、明治32年7月!

明治31(1898)年10月、ユニテリアン教会・惟一館(現友愛会館)の安部磯雄、村井知至、岸本能武太(何れも同志社出身)らは社会主義研究会(会長:村井知至)を結成し、社会主義の研究に乗り出します。社会主義研究会は明治33(1900)年1月に社会主義協会(会長:安部磯雄)と改称し、明治34(1901)年に日本最初の社会主義政党・社会民主党(結社禁止)になります。

村井知至(1861.10.22~1944.2.16。牧師、英語学者)は同志社英学校から神学科に進みますが、安部磯雄らと退学。明治22(1889)年に渡米し、アンドーヴァー神学校で学び、帰国後に本郷教会の牧師になります。その後、ユニテリアン協会に移って牧師・説教者になり、協会機関誌『六合雑誌』に多くの論文を発表しています。

現在は英語学者として知られる村井知至ですが、明治32(1889)年7月に日本で最初の社会主義解説書とされる『社会主義』を刊行し、キリスト教社会主義者とされています。『社会主義』は当時、労働新聞社から出版され、発行人は片山潜でした。その後、同書は1957年に法政大学から復刻されますが、現在は入手困難です。

しかし、2015年に桜那書院(現桜町書院)から『社会主義 復刻版』・定価1000円(税別)として復刻され、販売中です。購入希望者はインターネットで「桜町書院」と検索し、確認の上、手続きをしてください。なお、当歴史館でも希望者に実費(1000円+消費税+送料)でお分けしています。希望者は友愛労働歴史館までEメールで申し込んでください。

友愛会、大日本労働総同盟友愛会に改称し100年・大正8年8月30日!

大正元(1912)年8月1日、鈴木文治がユニテリアン教会・惟一館(現友愛会館)で創立した友愛会は、その人格承認の訴えが当時の労働者の支持を得て、次第に組織を拡大していきました。鈴木文治は大正4(1915)、5年に渡米し、米国労働総同盟AFLの大会運営などを目の当たりにします。また、鈴木はAFLの組合規約、綱領、機関誌、パンフレット、さらにはギャベル(小槌)、ユニオン・レベル(組合員証)、バッチ(記章)などを持ち帰りました。やがて友愛会にAFL流の組織体制、組合運営が導入され、婦人部が設置されるなど組織は充実・強化されていきます。

そして大正8(1919)年8月30日~9月1日の友愛会第7周年大会で、名称を大日本労働総同盟友愛会に改称しました。この大会は「友愛会創立以来最も意義ある大会であった。それは従来の会の組織にも、制度にも態度、精神にも、革命的な変化を与えるものがあった」(『労働運動20年』鈴木文治著)とされています。8月30日はこの名称変更から100年です。

翌大正9(1920)年5月2日、大日本労働総同盟友愛会は日本初のメーデーを主導。そして同年10月3~5日の友愛会第8周年大会(写真)で「大」を削除し、日本労働総同盟友愛会と改称。さらに翌大正10(1921)年10月1~3日の友愛会創立第10年大会で「友愛会」を削除し、日本労働総同盟となります。ここに名実伴う「総同盟」が誕生し、その名称は戦後まで使われることになります。

国際労働組合連盟IFTU(アムステルダム・インター)の設立から100年!

今から100年前の1919年に労働組合の国際組織、国際労働組合連盟IFTUが設立されました。これは1903年に結成された国際労働組合書記局が前身で、同組織が第一次大戦の勃発により存続不可能となった後、1919年7月28日にオランダ・アムステルダムで再建されたものです。国際労働組合連盟IFTU(14カ国・約1770万組合員)は、一般にはアムステルダム・インターナショナルと呼ばれました。

国際労働組合連盟IFTUは、「労働組合主義を標榜し、同年再建された第二インターナショナルと同年設立された国際労働機関ILOと親密の協力関係をもった」(『ブリタニカ国際大百科事典』)とされています。

戦前(第一次大戦から第二次大戦まで)の世界の労働運動は、①労働組合主義の国際労働組合連盟IFTUと、②共産主義の赤色労働組合インターナショナル(プロフィンテルン・RILU)、そして③キリスト教を基礎とする国際キリスト教労組連盟(IFCTU)の三つに分かれていたのです。

国際労働組合連盟IFTUの45年の歴史をまとめたものに『45 YEARS IFTU』(W・スケヴネルス著)があり、同書を翻訳した『国際労働運動の45年』(W・スケヴネルス著、小山泰蔵訳、論争社)があります。現在、同書(写真)は入手困難ですが、当館協力者(間宮繁子氏)が仮翻訳したデジタル版(PDFデータ)があります。希望者にはデータを贈呈いたしますので、友愛労働歴史館までEメールyuairodorekishikan@rodokaikan.orgで申し込んでください。デジタルデータ版『国際労働組合連盟45年史』(W・スケヴネルス著、間宮繁子訳)を、メール添付で送付いたします。

ベルンシュタイン著『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』から120年!

120年前の1899年、ドイツの社会思想家・政治家であるエドゥアルト・ベルンシュタイン(1850.1.6~1932.12.28)は、『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』を刊行します。これによりドイツ社会民主党にいわゆる「ベルンシュタイン問題」が起こり、彼は主流派、特に左派から修正主義者として厳しく批判されます。

しかし、同書は先進資本主義国における民主的な社会主義への道(「議会政治による社会主義の漸進的な実現」)を示したものであり、ベルンシュタイン主義は今日、イギリスのフェビアン主義とともに民主社会主義の源流の一つとされています。

友愛労働歴史館はエドゥアルト・ベルンシュタインの主著『社会主義の諸前提と社会民主主義の任務』(佐瀬昌盛訳、ダイヤモンド社)を所蔵する他、関連書として①『ベルンシュタイン―民主的社会主義のディレンマ』(ピーター・ゲイ著、木鐸社)、②『ベルンシュタインと修正主義』(関嘉彦著、早稲田大学出版部)、③『ベルンシュタイン―亡命と世紀末の思想』(亀嶋庸一著、みすず書房)、④『民主的社会主義と社会民主主義―ベルンシュタイン、ゴーデスベルク・ベルリン綱領』(ホルスト・ハイマン著、現代の理論社)」があります。また、エンゲルスとベルンシュタインの往復書簡が収録されている『マルクス・エンゲルス全集』35巻・36巻『書簡集』(大月書店)を所蔵しており、来館者への閲覧に供しています。

友愛会創立は大正デモクラシーの先駆、1912(大正元)年8月1日!

日本労働運動の源流、友愛会(大正元年8月1日創立)を顕彰する活動に取り組んでいる「友愛会創立を記念する会」(高木剛会長)は8月1日、友愛会館において友愛会創立を記念する会(記念パーティー、記念労働講座)を開催しました。

今年は友愛会創立から107年。大正元年8月1日に自由基督教の一つ、ユニテリアン教会・惟一館(東京芝、現在の友愛会館)で、鈴木文治や梶井與雄ら15名によって友愛会は創立されています。「広辞苑」は友愛会について「1912年鈴木文治らが創立した労働組合。初めは共済・修養機関の色彩が強かったが、全国的組織に発展して、21年日本労働総同盟と改称」と記述し、友愛会を「修養機関」とやや揶揄した解説を行っています。

鈴木文治(肖像画左)は友愛会創立について『労働運動20年』(昭和6年発行。昭和60年に現代文訳発行)で、「大正元年8月1日の夜―おそれおおくも明治天皇がなくなられて三日目、年号を改めた第一日、全市をあげて市の沈黙にある時、前年から度々相談をまとめてきた同士労働者15名は、三田は惟一館の図書室に、未来永久への希望をかけて、血盟の誓いを立てた」と記述しています。

今日、友愛会への評価は様々ですが、大正の幕開けとともに誕生し、労働者の人格の向上を目指して大正期の労働運動を主導した友愛会は、「大正デモクラシーの先駆」(友愛労働歴史館)と言って良いでしょう。因みに「大正デモクラシーの旗手」とされる吉野作造(肖像画右)は、鈴木文治の同郷の先輩(共に東京帝大)で、友愛会の評議員を務めた支援者である。

渋沢栄一の「老後の三大事業」と協調会!

友愛労働歴史館は現在、企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催中であり、協調会や初期の協調会を主導した渋沢栄一らについて解説しています。

そこで渋沢栄一と協調会について少し紹介いたします。渋沢栄一は約500社の企業の創設・経営に関わり、「日本資本主義の父」と呼ばれた巨人。「実業家。青淵と号。初め幕府に仕え、明治維新後、大蔵省に出仕。辞職後、第一国立銀行を経営、製紙・紡績・保険・運輸・鉄道など多くの企業設立に関与、財界の大御所として活躍。引退後は社会事業・教育に尽力。(1840~1931)」(広辞苑)と解説されています。

日本近代資本主義の巨人、渋沢栄一は大正5(1919年)に77歳で実業界を引退。そして「老後の三大事業」として、「経済と道徳の一致」「資本と労働の調和」「細民救恤手段の統一」の活動に取り組みます。

労働運動関係者が注目するのは渋沢がめざした「資本と労働の調和」であり、それを具体化した協調会(大正8年結成)についてです。協調会は「労資協調を目的とし、労資紛争の防止・調停、社会問題の解決・調査・研究などを事業とした財団法人。1919年(大正8)東京に創立、第二次大戦後解散」(広辞苑)とされ、とかく負のイメージがあります。

しかし、初期の協調会と友愛会・総同盟は一定の関係を保ち、鈴木文治会長は協調会を評価していました。友愛労働歴史館の企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」に言及しつつ、何回かに亘り渋沢栄一と協調会について記述します。

友愛会創立記念労働講座を開催、8月1日!

日本労働運動の源流、友愛会(大正元年8月1日創立)を顕彰する活動に取り組んでいる「友愛会創立を記念する会」(高木剛会長)は、毎年8月1日に友愛会創立を記念する会(記念パーティー、記念労働講座)を開催しています。今年も記念パーティーは8月1日(木)12時から友愛会館9偕大会議室で開催されました。

また、これに先立ち友愛会創立記念労働講座が、当館研修室で開催されました。今回のテーマは「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」で、45分のミニ講演。報告者は当歴史館の間宮悠紀雄事務局長が務めました。以下、少し長くなりますが、講演レジュメを転載いたします。

「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」 友愛労働歴史館 間宮悠紀雄

1.渋沢栄一と鈴木文治の出会い―大正4年、米カ州の排日問題が契機―

①米カリフォルニア州を中心に、米国労働総同盟AFL主導の移民排斥運動が起きる。

日米の知識人らが協議し、帰一協会の安部磯雄・添田寿一・渋沢栄一らが動く

②渋沢栄一と鈴木文治の出会い―大正3年秋からから4年春ころに何回か面談―

③鈴木文治と吉松貞弥の渡米―大正4.6.1・友愛会主催の全国労働者大会、渋沢栄一

も激励。6.17、渋沢が送別会を開く。以後、渋沢は鈴木文治と友愛会を激励援助

  1. 渋沢栄一と鈴木文治が絶交―協調会の結成が契機―

①1919(大正8)年、労資協調を目的とする協調会設立、徳川家達・渋沢栄一ら

②渋沢は鈴木に参加要請。鈴木は6カ条を要求し拒絶、二人の公的関係終わる

③協調会への批判:「協調会は政府及び資本家の親類筋」(鈴木文治)、「協調会は労働運動を抑圧する目的を以て官僚及び資本家の共同して設立したもの」(総同盟)

3.協調会の方向転換―渋沢栄一・添田敬一郎と「協調会宣言」―

①渋沢栄一が協調会の内部刷新―大正9年論文「労働問題の根本義」、役員の更迭―

「労働組合の存在を前提とし、①労資の人格の尊重、②労資の対等、③階級闘争の排除を柱とする「新しい協調主義」の理念」「温情主義を踏みこえて、協調主義の理想のもとに産業の基礎を資本家と労働者との人格的協働に求めた」(『添田敬一郎傳』)

②添田敬一郎(内務官僚)の協調会入り―社会連帯主義を掲げ、協調会を方向転換―

「吾人の期するところは、協調の精神的基礎たる社会連帯の思想をあくまで鼓吹するにある。協調の静態は社会連帯の思想であり、その動態は社会政策の実行である」「「対等なる人格の相互尊重は協調の第一要素である」(協調会機関誌『社会政策時報』、大正10年)

③「協調会宣言」―人間は常に最終の目的、人格の尊重が協調主義の根帯―

4.総同盟と協調会の関係―1919(大正8)年~1931(昭和6年)―

①鈴木文治は協調会の方向転換を評価―『労働運動20年』に見る―

②総同盟は初期協調会との関係を維持―大正8年~昭和6年―

・総同盟の協調会館(講堂、図書館)の利用

・協調会の労働争議調停(例:野田労働争議)

・昭和5年に鈴木が総同盟会長辞任、昭和6年に添田敬一郎が去り渋沢栄一が死去

③戦後、友愛会系労組がタブーとした「労資協調」「企業内組合」

・「労資協調」に込められた非難や揶揄、協調会を連想させる歴史的経緯

・それ故、友愛会系労組は「労使協力」「労使協議」などの言葉を使用してきた

・「企業内組合」は産別にも中央労働団体にも加盟しない、企業内で完結した組合

「日本資本主義の父」渋沢栄一と「日本労働運動の父」鈴木文治の関係!

友愛労働歴史館は7月4日から企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催しています。この「協調会」展の第3部は「渋沢栄一と鈴木文治・友愛会」で、渋沢栄一と鈴木文治・友愛会の関係、繋がりについて解説しています。

渋沢栄一は「日本資本主義の父」であり、幅広い活動に取り組んだ巨人。その渋沢と鈴木の関係は余り知られていません。しかし、友愛会の記録や鈴木文治著『労働運動20年』には、渋沢栄一や協調会が出てきます。また、限られた記述ではありますが、『渋沢栄一伝記資料』(渋沢史料館)に、鈴木文治や友愛会が登場しています。

企画展「協調会」では鈴木の『労働運動20年』や『渋沢栄一伝記資料』に言及しつつ、渋沢と鈴木の関係を見つめています。鈴木文治・友愛会を激励援助した「日本資本主義の父」渋沢栄一と、渋沢栄一・協調会(初期)を評価していた「日本労働運動の父」鈴木文治の関係についてご覧ください。