友愛労働歴史館は先達のメッセージを読み取り、再発信します!

TEL.050-3473-5325

〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」は6月28日(金)に閉会します!

友愛労働歴史館が開催中の企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)は、今月28日(金)に閉会いたします。まだ、ご覧いただいていない皆様はぜひ期間中にご覧いただければと思います。

本企画展「民社党結党60年」は民社党を中心に展示・解説していますが、同党の源流である社会民衆党(1926年)や戦後の日本社会党についても言及しています。戦前の無産政党、戦後の革新政党に興味と関心のある方のご来館をお待ちいたします。

民社党は勤労者を基盤に、福祉国家・福祉社会をめざした改革政党・国民政党でした。不幸にして多くの国民の支持を得られず、小選挙区制が導入された1994年に解散し、新進党・新党友愛・民主党を経て現在は国民民主党に合流しています。本「民社党結党60年」展で社会民衆党から民社党までの歴史と活動、その理念をご覧ください。

 

朝日新聞デジタル版、東京新聞に友愛労働歴史館が登場!

朝日新聞デジタル版の言論サイト「論座」の「日本会議と共闘する労働戦線は、どのように作られてきたか」の中に、友愛労働歴史館が登場しています。

また、5月23日の東京新聞夕刊「論壇時評」の「連合と右派運動―民社・同盟系の動向がかぎ」(中島岳志東京工業大学教授)は、朝日新聞「論座」に触れつつ、当館企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)に言及しています。

詳細は省きますが、中島教授は当館の展示が「社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近は、展示の中では強調されていない」と記しています。この点について友愛労働歴史館として一言、述べたいと思います。

社会大衆党は1932(昭和7)年、日本労農党(戦後の社会党中間派)系と社会民衆党(総同盟が支援した無産政党右派。戦後の社会党右派・民社党の前身)系が合同してできた無産政党。当時、社会大衆党の主導権を握っていたのは旧日労系で、旧社民系は少数派でした。

そして国家社会主義を志向する旧日労系と、社会民主主義の旧社民系は、産業報国会問題などで対立。昭和15年の斎藤隆夫粛軍演説問題で旧社民系は、主流派の旧日労系により社会大衆党を除名されます(『幻の勤労国民政党』梅澤昇平著を参照)。

このような経緯から友愛会系労働組合の歴史資料館である当館にとって、社会大衆党は汚点。わざわざ企画展で、日労系が主導した「社会大衆党の戦前・戦中の国体イデオロギーへの接近」を「強調」する理由はないのです。

東京山の手大空襲で日本労働会館・友愛病院(現友愛会館)が焼失、5月23日!

友愛労働歴史館の運営母体である(一財)日本労働会館(旧財団法人日本労働会館)は戦前、①日本労働会館(明治27年、総同盟本部会館、現在の友愛会館)、②アパート青雲荘・友愛病院(昭和11年)、③大井友愛館(大正13年)、④神楽坂食堂(東京市設食堂を昭和13年に引受け)を経営していました。

太平洋戦争末期の昭和19(1944)年から昭和20(1945)年にかけ、東京は相次いで米軍B29の空襲を受けました。ウィキペディアは「1944(昭和19)年11月24日以降、106回の空襲を受けたが、特に1945年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模だった。」と記しています。

昭和20年5月23日深夜から24日未明の「東京山の手大空襲」により、東京・芝にあった日本労働会館本館(旧ユニテリアン教会・惟一館、日本近代建築の父ジョサイア・コンドル設計)、アパート青雲荘・友愛病院(モダニズム建築家・山口文象設計)、そして東京・神楽坂の神楽坂食堂が焼失しました。また、これより先の4月14日の川崎大空襲で、神奈川県・川崎にあった第二友愛病院・第二青雲荘が失われています。

『財団法人日本労働会館60年史』は、「1945年8月15日、こうして終戦を迎えた財団法人日本労働会館は、その事業基盤を失い、財産として残ったのは本館の土地、内部が焼けた病院の建物、大井友愛館と地方の川口分館、因島分館、それに西宮分館の焼けた跡地だけであった。」と記しています。写真右奥はジョサイア・コンドル設計の日本労働会館(旧ユニテリアン教会・惟一館)、左手前は山口文象設計のアパート青雲荘(2階、3階)・友愛病院(1階)です。

協調会、渋沢栄一、添田敬一郎の資料を探しています!

100年前の大正8(1919)年、社会運動の調査・研究、政策提言などを行う二つの団体が誕生しました。大原社会問題研究所と協調会です。大原社研は現在も活動を続けていますが、 「労資協調のための研究調査・社会事業を行う財団法人」として設立された協調会は、戦後、GHQから解散を命じられています。

友愛労働歴史館は協調会創立から100年を記念し、企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を7月4日から開催いたします。現在、準備作業の一環で協調会や協調会結成を主導した渋沢栄一(日本資本主義の父、実業家、協調会副会長)、初期の協調会活動を主導した添田敬一郎(内務官僚、各県知事、政治家、協調会常務理事)らの資料を集めています。

協調会(写真は協調会本部、現在の中労委会館)や渋沢栄一、添田敬一郎に関する資料をお持ちの方は、ぜひ友愛労働歴史館(Eメール  yuairodorekishikan@rodokaikan.org)にご一報ください。特に写真は大歓迎です。お借りした上、当方でスキャンし、デジタルデータといたします。どうぞよろしくお願いいたします。

明治・大正・昭和・平成の時代を重ね、令和を迎える友愛会館!(友愛労働歴史館)

 いよいよ平成最後の日となりました。友愛労働歴史館がある友愛会館の前身は、米国ユニテリアン協会が明治27年に建設したユニテリアン教会・惟一館(設計ジョサイア・コンドル)。
 その後、惟一館で鈴木文治らにより友愛会が創立されたのが大正元(1912)年、そして総同盟(友愛会が改称)が安部磯雄、新渡戸稲造、吉野作造らの協力を得て惟一館を買収し、日本労働会館としたのが昭和6(1931)年です。
 戦後は昭和24(1949)年の総同盟会館・全繊同盟会館からスタートし、東京オリンピックの昭和39(1964)年竣工の友愛会館・三田会館を経て、平成24(2012)年に現在の友愛会館へと時代を重ねてきました。
 明日からは新しい令和の時代を迎えます。惟一館から125年、友愛会から107年、新しい令和の時代を迎え、友愛労働歴史館は友愛会系労働運動の歴史資料館として今後も活動を積み重ねていきます。どうぞよろしくお願いいたします。

ゴールデンウイーク10連休中、4月30日・5月1日・2日は開館します!

 

友愛労働歴史館(友愛会館8階)は4月27日(土)からのゴールデンウイーク10連休中、4月30日(火)、5月1日(水)、2日(木)は開館いたします。

当歴史館は原則、土曜日・日曜日・休祝日が休館日で、平日10:00~17:00の間、開館しています。ゴールデンウイーク10連休中は4月27日(土)、28日(日)、29日(昭和の日)、5月3日(憲法記念日)、4日(みどりの日)、5日(こどもの日)、6日(振替休日)を休館いたします。

なお、4月30日(火)、5月1日(水)、2日(木)はお休みせず、10:00~16:00の時間帯で開館いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

東京タワー展望台から見た友愛会館・友愛労働歴史館!

友愛労働歴史館がある友愛会館(旧ユニテリアン教会・惟一館)の屋上にはツツジが植栽されており、毎年、期間限定で開放されています。今年の「ツツジを楽しむ会」は、4月24日(水)~26日(金)12:10~13:10で行われました。26日には近くの芝小学校三年生生徒や町内会役員を招いた「ツツジを楽しむ会」が予定されています。

写真下は23日に東京タワー展望台から撮影したもので、友愛会館(写真中央やや右下、屋上にツツジが植栽されている16階建てのビル)やレインボーブリッジが見えます。写真上は逆に友愛会館屋上から東京タワーや芝増上寺を見たものです(25日が雨天のため昨年の写真を利用)。

渋沢栄一の手紙(大正4年6月11日付)を公開中!

2024年度から登場する新紙幣1万円札の表の図柄に渋沢栄一が決まり、いま注目が集まっています。渋沢栄一は数多くの企業を設立し、「日本の資本主義の父」と呼ばれています。

しかし、一方で友愛会・総同盟(現在の連合)とも「ゆかりの人」であり、友愛会系労働組合の歴史資料館である当歴史館には、渋沢栄一の肖像画や手紙が常設展示されています。

渋沢栄一と鈴木文治・友愛会の関係は、大正初期に米国で排日問題が起こったことにより始まります。『渋沢栄一伝記資料』(渋沢史料館)の大正4年6月1日の記述に、「是ヨリ先、アメリカ合衆国カリフォルニア州ニ排日問題起ルヤ、シドニー・エル・ギューリック等ノ請ニヨリ、米国労働大会ヘ代表ヲ派遣センガ為メ、栄一、安部磯雄・添田寿一ト謀リ、当会会長鈴木文治ヲシテ列席セシムベク尽力ス。是日当会主催全国労働大会ニ出席シ送別演説ヲナス。爾後当会並ニ鈴木文治ニ対シ絶エズ激励援助ヲ与フ。」とあります。

また、大正4年6月17日には「当会ノ鈴木文治及ビ吉松貞弥ノ両名、労働代表者トシテ渡米スルニ際シ、是日栄一、之ヲ兜町事務所ニ招キテ送別会ヲ催ス。」とあり、渋沢栄一が鈴木文治と吉松貞弥(友愛会員)のために送別会を開いたことが記述されています。

当歴史館が所蔵している渋沢栄一直筆の書簡はこの時期のもので、鈴木文治とともに米国に渡った吉松貞弥宛の送別会案内状の手紙です。なお、この書簡は吉松貞弥遺族より渋沢史料館へ寄贈されるところを、渋沢史料館のご配慮で当歴史館に寄贈されたものです。

「連合総研レポート」2019年4月号に論文「友愛会から総同盟へ」が掲載されました!

公益財団法人連合総研(連合総合生活開発研究所)の「連合総研レポート」2019年4月号は、特集「労働運動家とその思想―現代にどう活かすか」を組んでいます。
掲載されているのは「日本労働運動史における高野房太郎の足跡と役割―日本労働組合運動の父―」(小松隆二著)、「友愛会から総同盟へ―鈴木文治と松岡駒吉の軌跡」(間宮悠紀雄著)、「対立を超える“共助”の理想を追い求めた労働運動家―賀川豊彦とその生涯」(伊丹謙太郎著)の3本の論文です。
鈴木文治・松岡駒吉・賀川豊彦は、当歴史館ゆかりの人として展示室に肖像画を飾っています。また、高野房太郎は労働組合期成会の創立者として、当館常設展で展示・紹介を行っています。さらに論文「友愛会から総同盟へ」は、当館関係者の寄稿です。
このため「連合総研レポート」2019年4月号の紹介をさせていただきます。同号表紙と「特集解題」(連合総研主任研究員 麻生裕子)です。3つの論文に興味・関心のある方は、連合総研(連合総合生活開発研究所)までお問い合わせください。

連合総研(連合総合生活開発研究所)
〒102-0074 東京都千代田区九段南2-3-14 靖国九段南ビル5階、℡03-5210-0851
HP http://www.rengo-soken.or.jp/

桜咲く飛鳥山公園の渋沢史料館、4月5日!

 友愛労働歴史館は74日から企画展「協調会結成100年―友愛会・総同盟との関係を見詰める―」(2019.7.412.24)を開催いたします。その準備の一環で45日(金)、桜咲く東京・北区の飛鳥山公園にある渋沢史料館に行ってきました。

 協調会は大正81919)年に「労使協調のための研究調査・社会事業を行う財団法人」として設立され、1946(昭和21)年に解散しています。渋沢栄一はその協調会の副会長を務め、友愛会・鈴木文治とは1915(大正4)年からの交流が伝えられています。また、協調会と渋沢栄一は、野田醤油労働争議(19271928年)を調停したことでも知られています。友愛労働歴史館は渋沢栄一をゆかりの人とし、展示室に渋沢の肖像画を飾っています。

 渋沢栄一は埼玉県深谷市の生まれで、一橋慶喜の家臣として幕末に活躍。明治維新以後は「民間の立場から約500社にのぼる株式会社、銀行などの設立、経営指導に尽力し、民間外交、社会公共事業に取り組み近代日本の経済社会の基礎を作りました」(案内パンフより)。

 渋沢栄一に興味のある方はぜひ一度、飛鳥山公園にある渋沢史料館を覗いてみてください。隣接する旧渋沢庭園には国指定重要文化財・青淵文庫と同・晩香廬があり、同じ飛鳥山公園には紙の博物館、北区飛鳥山博物館もあります。案内パンフ(一部)を参照してください。