友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

『昭和後期女性文学論』の論文「阿部静枝の戦後」(内野光子著)を読む!

この程、翰林書房から『昭和後期女性文学論』(新・フェミニズム批評の会)が出版されました。同書には友愛労働歴史館ゆかりの阿部静枝を取り上げた論文「阿部静枝の戦後―歌集『霜の道』と評論活動をめぐって」(内野光子著)が掲載されています。著者の内野光子氏は阿部静枝のお弟子さんで、歌人・評論家。

阿部静枝(写真)は歌人(ポトナム同人)、評論家であると同時に社会運動家で、民社党やその前身である社会民衆党(大正15年に安部磯雄や片山哲らが結党)を代表する戦前・戦後の婦人運動家。同志に赤松常子(労働運動家、参議院議員)や赤松明子(吉野作造二女)らがいました。

友愛労働歴史館は2014年に開催した企画展「同盟結成から50年、その今日的意義を探る」(2014.9.8~2015.2.28)の中で阿部静枝を取り上げ、紹介しています。その折の解説スライド「阿部静枝―歌人・評論家・社会運動家」をPDFデータで送付いたしますので、希望者は友愛労働歴史館までご連絡ください。

友愛労働歴史館は3月30日(月)から5月6日(水)まで臨時休館いたします!

新型コロナウイルスによる感染拡大の恐れがあり、東京都は25日に「感染爆発の重大局面」として「週末の不要不急の外出自粛」を呼び掛けています。また、都民に向けて「平日はできるだけ仕事を自宅で行い、夜間の外出も控えて欲しい」と呼び掛けています。

友愛労働歴史館はこのような状況に鑑み3月30日(月)から5月6日(水)まで臨時休館(展示室を閉鎖、事務作業は継続)することになりました。どうぞよろしくお願いいたします。なお、新たな動きがありましたらHPでご報告いたします。また、メールでの問い合わせ、資料の閲覧などには可能な限り対応いたしますので、メールでご相談ください。

友愛会誕生の地、ユニテリアン教会・惟一館建設から126年(明治27年3月25日)!

社会主義研究会(後の社会民主党)と友愛会(現在の連合)の誕生により日本社会主義運動と日本労働運動の発祥の地とされるユニテリアン教会・惟一館(現在の友愛会館。東京・芝)は、明治27(1894)年3月25日に献堂式(開館式)を迎えています(写真参照)。献堂式では横井時雄、久米邦武、福澤諭吉らが祝辞を述べています。

ユニテリアン教会のクレイ・マッコーレイ牧師は、報告書「惟一館献堂式全体報告・惟一館建設に当たって」の冒頭で、「このパンフレットは、日本におけるユニテリアンの本部、惟一館の建設ならびに、使節団の支援により設立された先進学院についての記録として、特別に準備されたものです」と記しています。また、パンフレットは最後に「惟一館の完成は、本国での限りない関心と一層の支援が必要なこと、そしてこの国の人々や日本のユニテリアンに、より効果的な影響を与える時代が始まった事を示しています。米国ユニテリアン協会の保護の下、我々の活動で、人間の福祉以上に大事なものはありません。即ち、魂の無知、倫理的混乱と堕落、社会的無秩序から人を守ることです。それは合理的かつ生命体としての神、個人の魂を意識すること、精神的かつ倫理的規定、個人と社会を明確に認識することを意味します。実際、使節団は、宗教と道徳のために、西洋から日本へ送られた使者です。また物理学や力学的発明、産業などの新しい文明の重要性を説明すると、日本人はそれらを学び活用することを、心から望みます。」と結んでいます。

友愛会(後の総同盟。現在の連合)は昭和6(1931)年に惟一館を買収し、日本労働会館とします。その年の8月27日に行われた日本労働会館(旧惟一館)開館式で松岡駒吉理事長が報告した「財団法人日本労働会館設立経過報告書」は、「惟一館の歴史」で「惟一館は、自由基督教の伝道を目的とし、明治27年に建設されたものであるが、爾来40年間、日本の社会運動に非常な貢献をいたしました。我国の社会思想、社会運動は、この建物より出でたと云うも過言ではないのであります。即ち福沢諭吉、片山潜、安部磯雄、吉野作造の諸氏は、この惟一館と密接な関係を有し、自由主義、社会民主主義、無政府主義、共産主義等々の思想も、この建物を中心に転回いたしました。我国最初の無産政党たる安部磯雄氏等の社会民主党は、明治34年結党直後に解散を命ぜられましたが、その結党準備は此処で行われました。鈴木文治氏により大正元年8月、此処で創立された友愛会は、現在、日本労働総同盟として活動して居りますが、周知の如く我国労働組合の左、右、中間各派の主流は、労働総同盟より分裂したものであり、この各派組合を中心に、各無産政党が対立発生いたしました。この外、農民組合運動、労働者教育運動も、源を此処に発している」と記しています。

渋沢栄一もサンダースも民主社会主義者、社会主義とは社会連帯主義?!

新型コロナウイルスが世界を震撼させ、生活や経済を直撃している中、アメリカ大統領選へ向けた闘いが進んでいます。民主党予備選挙に出馬しているバーニー・サンダース上院議員は、マスコミによれば「民主社会主義者を自称」し、一部の人々から「社会主義者」と批判されています。

しかし、サンダースの政策が医療改革や社会的格差の縮小という人間尊重の理念(「人間は常に最終の目的」とする考え)に基づくものならば、彼は福祉を重視し、社会的連帯を大切にする人であり、近代民主社会では普通の考えでしょう。日本でも資本主義の暴走とその非人間性に警鐘を鳴らしてきた人たちがおり、彼らは「民主主義を信じ、社会的な連帯を重視する立場」から「民主社会主義者」を自称してきました。社会主義とは社会連帯主義なのです。

ところで「日本資本主義の父」の渋沢栄一は民主社会主義者でしょうか。渋沢は77歳で実業界を引退した後、「老後の三大事業」に取り組みます。それは「経済と道徳の一致」「資本と労働の調和」「細民救恤手段の統一」でした。

「資本と労働の調和」に基づき渋沢栄一らが設立した協調会(1919~1946年。労資協調を目的とした財団法人)は、「協調会宣言」の中で「人格の平等、人間は常に最終の目的」を謳っています。これを信じる限り晩年の、そして協調会時代の渋沢栄一を民主社会主義者と呼んでもいいのではないでしょうか。

友愛労働歴史館は昨年、企画展「協調会結成100年―渋沢栄一と鈴木文治・友愛会―」(2019.7.4~12.24)を開催し、渋沢栄一や協調会について紹介・解説いたしました。渋沢栄一が民主社会主義者かどうか興味と関心のある方は、同展解説スライドをご覧ください。ご希望の方にメール添付で送付いたしますので、友愛労働歴史館まで申し込んでください(文責・間宮悠紀雄)。

森戸辰男筆禍事件の東京地裁判決から100年、1920年3月3日!

本3月3日は森戸辰男筆禍事件で東京地裁判決が出されてから100年です。この事件について「広辞苑」(岩波書店)は、「1920(大正9)東大助教授森戸辰男(1888~1984)らの筆禍事件。森戸は経済学部機関紙に無政府主義者クロポトキンに関する研究論文を発表したところ、発行人の同助教授大内兵衛とともに朝憲紊乱罪で起訴、有罪となり東大を失職した。」と記しています。

また、「日本大百科全書」(小学館)は、「東京帝国大学経済学部助教授森戸辰男の筆禍事件。森戸が、1920年(大正9)1月1日付けの同学部内経済学研究会機関誌『経済学研究』第1巻第1号に発表した「クロポトキンの社会思想の研究」が危険思想と攻撃され、政府もこれを問題として、1月10日森戸は休職処分を受けた。14日には森戸と編集署名人の同学部助教授大内兵衛が起訴された。3月3日の東京地裁、6月29日の東京控訴院の有罪判決のあと、10月22日大審院で上告棄却の判決が下された。新聞紙法第42条朝憲紊乱罪により両人ともに東京帝大を失職し、森戸は11月4日に下獄した。言論人や黎明会などを中心に、世論は学問思想の自由に対する弾圧であるとして反対した。」(一部略)と解説しています。

友愛労働歴史館は2018年に開催した企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.5~6.29)の第3部「片山内閣を支えた人々」で、文部大臣・森戸辰男を取り上げて紹介しています(左下スライドを参照)。また、その他の人々として鈴木義男司法大臣、波多野鼎農林大臣、水谷長三郎商工大臣、米窪満亮労働大臣、西尾末廣国務大臣(内閣官房長官)、松岡駒吉(衆議院議長)を紹介・解説しました。

この企画展の解説スライド「戦後民主化のリーダー 片山哲」を、希望者にPDFデータを送付いたします。希望者はEメールで友愛労働歴史館まで申し込んでください。Eメール   yuairodorekishikan@rodokaikan.org

安部磯雄らの社会主義協会(社会民主党の前身)から120年、明治33年2月25日!

2020年2月25日は安部磯雄や村井知至らの社会主義協会結成から120年です。社会主義協会の前身は1898(明治31)年に結成された社会主義研究会であり、同研究会は1900(明治33)年2月25日に社会主義協会と改称。そして社会主義協会は1901(明治34)年5月18日に社会民主党(結党不許可)へと発展したことで、日本社会主義運動史に特筆されています。

1898(明治31)年10月18日、東京・芝のユニテリアン教会(協会)・惟一館(写真。現在の友愛会館)の図書室で社会主義研究会第1回例会が開かれました。社会主義研究会は同志社時代からの親友、安部磯雄と村井知至により準備され、会長は村井知至(ユニテリアン教会牧師)が就任し、事務所は惟一館に置かれました。

社会主義研究会は1900(明治33)年2月25日の第12回例会で社会主義協会へ改称し、安部磯雄が会長に就任します。会合は第17回例会(1901年3月24日)まで開催され、事務所は片山潜の神田キングスレー館に置かれました。会員は18名。なお、第16回例会(1901年1月27日)から会場は惟一館に戻り、3月2日には社会主義学術大演説会(神田青年館)を開催しています。

社会主義協会は1901(明治34)年5月18日に社会民主党へと発展し、日本最初の社会主義政党なります。しかし、20日に結社禁止となっており、政党としての活動実績はありません。しかし、「社会民主党綱領」「社会民主党宣言書」などが残され、社会に大きな影響を与えました。結党時メンバーは安部磯雄、片山潜、幸徳秋水、河上清、木下尚江、西川光次郎の6名で、幸徳を除く5名がクリスチャンでした(『社会主義の誕生―社会民主党100年』論創社)

ユニテリアン・ミッション(社会民主党・友愛会の創立など)がスタート、1890(明治23)年2月!

福澤諭吉や金子堅太郎らの招聘を受けた米国ユニテリアン協会(AUA)は1887(明治20)年12月、アーサー・メイ・ナップ牧師(1841~1921。写真)を日本に派遣してユニテリアン・ミッションの是非を調査。その結果、1889(明治22)年10月、ナップ牧師の他、クレイ・マッコーレイ牧師や神田佐一郎、慶大3教授(慶應義塾に大学部を設置するためハーバード大学から招聘)らが来日します。そして同年11月、東京市麹町区永田町にユニテリアン協会本部を設置しました。

1890(明治23)年1月、ユニテリアン・ミッションを支援するため英国ユニテリアンの宣教師ヘンリー・W・ホークスが来日し、2月にユニテリアン協会本部は東京市麻布区飯倉町に移転。3月には月刊誌『ゆにてりあん』(主筆:クレイ・マッコーレイ牧師、惟一社発行)を創刊し、鹿鳴館で発刊を祝う会を開催しています。

130年前の1890(明治23)年2月はユニテリアン・ミッションが本格的にスタートした時で、後にこのミッションの一つとして1898(明治31)年に社会主義研究会(明治34年に日本最初の社会主義政党・社会民主党へ発展)が、1912(大正元)年には友愛会(日本最初の中央労働団体、後の総同盟・同盟。現在の連合)が創立されています。

民社党結党60年記念講演会が開かれる、1月18日・友愛労働歴史館研修室!

1月24日は民社党(西尾末廣委員長)結党から60年です。民社党の前身は戦前期の友愛会・総同盟が支えた社会民衆党(大正15年結党。安部磯雄委員長)で、その流れは社会大衆党(昭和7年結党。安部磯雄委員長)、勤労国民党(昭和15年。結党禁止)を経て、戦後は日本社会党(昭和20年。片山哲委員長)となり、さらに昭和35年に民社党(最初の党名は民主社会党)へと進んでいます。

大正15年以来の友愛会系労組と社民系政党の長い支持・協力関係を伝えるため友愛労働歴史館は、昨年上期に企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)を開催しています(下の企画展ポスター参照)。

結党記念日に先駆け1月18日(土)、民社OB会(会長:梅澤昇平)の主催により「第2回民社党結党60年記念の集い」が開かれました。第一部の講演と自由討論「民社の昨日、今日、明日」(講師:清滝仁志駒澤大学教授)は、友愛労働歴史館研修室(友愛会館8階)で行われました。また、第二部「民社OB会総会と懇親会」は、友愛会館9階会議室で開催されました。

「幸せは春の桜に秋の月 家族達者で三度食う飯」が労働組合の目的!

現在の日本社会では失業、貧困、格差、不平等、長時間労働、違反残業・サービス残業、セクハラ・パワハラなどの課題が沢山あります。労働組合が頑張らなければいけないのに、どうも存在感は希薄なようです。それでも春の賃上げの季節になると労働組合のことが多少、マスコミを賑わします。

では労働組合は何をめざしているのでしょうか。労働組合法第2条は労働組合について、「労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他の経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体又はその連合団体をいう」と定義しています。

労働組合の難しい定義は別として、もっと簡明に「労働組合は幸せづくりの団体」と考えると、労働組合の目的・役割は次の古歌に表現できます。

「幸せは春の桜に秋の月 家族達者で三度食う飯」

労働組合はまず組合員・家族が三度の飯を食べられるように、より良い労働条件の実現をめざします。また、家族全員が元気に健康で食卓を囲むことができるように、時短や休日増に取り組みます。そして春の桜や秋の月を楽しめるように、休暇や休日の確保に努めます。「幸せづくりの団体」である労働組合が、まず組合員の労働条件の維持・向上をめざすのはこのためです。

企画展「日本のメーデー100年―自由と団結の旗のもと―」がオープン、1月6日!

友愛労働歴史館の新しい企画展「日本のメーデー100年―自由と団結の旗のもと―」(2020.1.6~6.30)が1月6日(月)にオープンいたしました。

日本で最初のメーデーが挙行されたのは非合法下の1920(大正9)年5月2日。友愛会を中心とする労働組合により東京・上野公園で開催され、約1万人が参加しました。その後、中断はありましたが、本年で100年となります。

本企画展「日本のメーデー100年」は第1部「メーデー前史(なぜMAY DAY?)」、第2部「戦前のメーデー 非合法化で団結」、第3部「戦後のメーデー、その変遷をたどる」で構成されています。期間中のご来館、ご見学をお願いいたします。