友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

片山内閣を支えた学者兼政治家の森戸辰男文部大臣!

 1947(昭和22)年に組閣された日本社会党中心の片山連立内閣。この片山内閣を支えた3名の学者・大臣の一人に、森戸辰男(文部大臣、学者、教育者、文化功労者、衆議院議員)がいます。

片山内閣で文部大臣を務めた森戸辰男(1888.12.231984.5.28)は、広島県福山市生まれ。東京帝国大学を卒業後、東京帝大経済学科助教授。1920(大正9)年の「森戸事件」で有罪となり、出獄後、大原社会問題研究所に勤務。大阪労働学校、神戸労働者学校に関わり、大阪で活躍していた西尾末廣(友愛会・総同盟の活動家。後に政治家、片山内閣の官房長官)らと親しくしています。

 1945年に日本社会党へ参加し、1946年の衆議院選挙で当選。片山内閣・芦田内閣で、文部大臣を務めています。森戸辰男は1949年の社会党再建大会で起きた「森戸・稲村論争」の当事者で、本論争は右派を代表する森戸辰男の国民政党論と、左派の稲村順三の階級政党論が激突したものです。

 森戸辰男は1950年に政界を去り、広島大学初代学長に就任。その後、中央教育審議会会長などを歴任しています。

 

4月8日は松岡駒吉生誕130年記念日、7月から企画展「松岡駒吉」を開催します!

 4月8日は、総同盟会長、全繊同盟会長、衆議院議長などを務めたクリスチャン松岡駒吉の生誕130年記念日、そして8月14日が松岡の没後60年記念日です。このため友愛労働歴史館は松岡駒吉の生誕130年・没後60年を記念し、企画展「松岡駒吉一戦前期、一筋に労働者の利益を守った男―」(2018.7.612.21)を7月6日(金)より開催します。

 同企画展では松岡駒吉の70年の生涯を紹介するとともに、労働者の利益を守るために彼が実践した現実主義労働運動について解説します。彼は「戦前のきわめて困難な時代にただ一筋に現実の労働者の利益を守るために、地道な努力をつづけてきた人物」(『松岡駒吉伝』)とされています。また、今年は松岡駒吉が主導した日本労働運動史に残る野田醤油争議から90年に当たります。

 企画展「松岡駒吉」は、①松岡駒吉の生涯―188848日~1958814日―、②野田醤油争議とその教訓―野田争議から90年―、③労働者の利益を守る現実主義労働運動の実践、の三部構成です。

 

ゴールデンウイークのお泊りは「せごどん」の地、ホテル三田会館!

 友愛労働歴史館は友愛会系労働組合の歴史資料館として、友愛会創立100周年の201281日に新装オープンしました。当歴史館があるこの場所(旧三田四国町)は、いまNHK大河ドラマ「西郷どん(せごどん)」で注目されている旧薩摩藩上屋敷跡です。

 友愛労働歴史館がある友愛会館の前身は、明治27年のユニテリアン教会・惟一館(J・コンドル設計)で、米国からユニテリアンを招聘したのは慶応義塾の福澤諭吉らです。後にこの地で友愛会(現在の連合)や社会主義研究会(後の社会民主党)が創立され、ここは日本労働運動発祥の地、そして日本社会主義運動発祥の地とされています。

 友愛労働歴史館はオープン以来、多くの人に利用されてきました。この友愛労働歴史館の運営を資金面で支えているのが、ホテル三田会館(友愛会館2階~7階にあるシングル中心のビジネスホテル)です。

 428日(土)からのゴールデンウイークは、ホテル三田会館に泊まり、友愛労働歴史館を見学してください。また、近くには芝増上寺や芝大神宮などの有名な観光スポットもあります。インターネットで「ホテル三田会館」(東京都港区芝2-20-12)と検索してください。

 

片山内閣を支えた学者兼政治家の鈴木義男司法大臣!

政策研究フォーラム発行の月刊誌『改革者』4月号に論文「片山哲と片山内閣を支えた人々―企画展「片山哲」から見た鈴木義男、森戸辰男、波多野鼎―」(友愛労働歴史館事務局長 間宮悠紀雄)が掲載されています。その一部(「日本国憲法と鈴木義男」)を転載いたします。

 日本国憲法と鈴木義男

 片山内閣で司法大臣を務めた鈴木義男(1894.1.171963.8.25)は、福島県白河市生まれ。第二高等学校、東京帝国大学卒業後、1924年に東北帝国大学教授になる。1931年に病気で辞職し、弁護士登録。1934年に法大教授となる。1945年に日本社会党の結成に参加。党中執、文教部長となり、憲法草案の作成に関与している。1946年の衆議院選挙で福島2区から当選し、片山内閣・芦田内閣で司法大臣・法務総裁を務めている。以後、衆議院議員に7回当選。後に専修大学教授、同学長となる。1960年の民社党結党に参加し、1961年に民社党国会議員団長。

 鈴木義男については近年、「日本国憲法第25条の生存権規定の成立に大きな役割を果たした」「平和主義に寄与した」としてNHKテレビで紹介され、またシンポジウムなどが開かれている。鈴木義男をOBに持つ東北学院大学は、憲法公布から70年の2017年に公開講演会「鈴木義男と平和憲法」(2月)と、公開シンポジウム「平和憲法と鈴木義男」(9月)を開催している。

 鈴木義男に光が当たるのは歓迎すべきこと。しかし、「平和憲法」に焦点を絞りすぎると結果として彼を矮小化することにもなりかねない。クリスチャン、弁護士、政治家として生きた鈴木義男を見つめる必要があろう。

片山内閣を支えた人々(学者、労働運動家、農民運動家など)!

友愛労働歴史館は現在、企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.5~6.29)を開催中で、日本社会党から片山内閣に入閣し、支えた人々の紹介も行っている。

 閣僚を務めた学者・政治家として鈴木義男(司法大臣、法学者、弁護士、教育者、衆議院議員)、森戸辰男(文部大臣、学者、教育者、文化功労者、衆議院議員)、そして波多野鼎(農林大臣、学者、参議院議員)がいる。

 また、農民運動や労働運動の出身者として平野力三(農林大臣、農民運動家。後に罷免され、波多野鼎が農相を引き継ぐ)、水谷長三郎(商工大臣、労働運動家)、米窪満亮(労働大臣、海員組合出身の労働運動家)、西尾末廣(内閣官房長官、友愛会以来の労働運動家)がいる。

 さらに片山内閣を政務官として支えた人たちに永江一夫(文部政務次官、労働運動家)、冨吉榮二(商工政務次官、農民運動家)、土井直作(労働政務次官、労働運動家)がおり、また官僚出身の曾禰益(内閣官房次長、後に民社党書記長)がいる。また、松岡駒吉(総同盟会長)は、衆議院議長として片山内閣を支えた。

1948(昭和23)年3月10日の片山内閣終焉から70年!

310日といえば1945(昭和20)年310日の東京(下町)大空襲、311日といえば2011311日の東日本大震災を思い浮かべます。しかし、310日は1948(昭和23)年310日の片山内閣終焉でもあります。

 1947524日に成立した日本社会党首班の片山連立内閣は、戦後の混乱期、食糧難、インフレ、労働攻勢の中で苦闘し、1948210日に総辞職して310日に終焉を迎えます。

 この片山内閣総辞職の直接の契機となったのが、社会党内左派の鈴木茂三郎予算委委員長による予算案否決でした。これは予算委員会の休憩中で与党議員不在の中、鈴木委員長が職権で強行開催し、自由党(当時)や共産党ら野党議員の出席する中、政府予算案を否決したものです。

一般にはこの社会党左派の造反(予算案否決)が、片山内閣総辞職の原因とされます。しかし、後に片山哲首相と西尾末廣官房長官の間で原因を巡り、食い違いが表面化します。1976年に朝日新聞「論壇」で起きた、いわゆる「片山・西尾論争」ですが、ここでは詳細は省きます。

短命に終わった片山内閣に興味と関心のある方は、友愛労働歴史館の企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.56.29)をご覧ください。

 

波多野鼎氏(農相、経済学者)、その他の方の資料寄贈を受ける!

 友愛労働歴史館はこの程、片山内閣(1947年、日本社会党中心の連立内閣)で農林大臣を務めた波多野鼎氏(経済学者、社会思想研究者)の関連資料(写真、その他)の寄贈を受けました。これは当歴史館がHPで「波多野鼎氏の資料を探しています」と掲載したのを読んだ波多野鼎氏ゆかりの人からの連絡により実現したものです(下記写真の中央が片山哲、左隣が波多野鼎)。

 また当歴史館は、同月にUAゼンセン東京都支部を介し、故和田正氏(UAゼンセン出身で連合東京会長などを歴任)の資料の寄贈を受けました。さらに連合副事務局長などを歴任し、労働運動・婦人運動で活躍した故高島(塩本)順子氏の資料寄贈を、複数回に亘って受けました。

 友愛労働歴史館は①友愛会から連合までの民主的労働運動の関連資料、②社会民衆党から日本社会党・民社党までの民主社会主義政党の関連資料、③ユニテリアン教会・惟一館ゆかりの社会運動の関連資料の収集を行っています。関連資料をお持ちで、ご寄贈をいただける方は、ぜひ友愛労働歴史館までご一報ください。

重盛親聖氏を講師に第17回政治・社会運動史研究会を開催、3月2日!

友愛労働歴史館は重盛親聖氏(労働運動家、民社党地方活動家・地方議員)を招き、3月2日(金)15:00~16:30に友愛労働歴史館研修室で第17回政治・社会運動史研究会を開催しました。テーマは「民社党時代を語る」(共通テーマ)。

重盛親聖氏は1937(昭和12)年生まれの80歳。造船重機労連IHI労組出身。広島県呉地区同盟専従8年。また、民社党広島県連副委員長などを歴任し、呉市会議員を6期務めています。2017年に長年の地方議員としての活動が認められ、旭日雙光章を受章しています。

研究会で重盛親聖氏は1時間余に亘り、①自らの生い立ちと西尾末廣との出会い、②民社党の活動で学んだことなどについて報告し、その後、参加者との間で意見交換・質疑を行いました。

 

 

福澤諭吉と友愛会(現在の連合)!

友愛会系労働組合の歴史資料館である友愛労働歴史館の常設展「日本労働運動の100年余―」(2012.8.1~)は、最初に福澤諭吉の肖像画と色紙「独立自尊」を飾っています。このため見学者から「福澤諭吉と友愛会は関係があるのか」、と質問されることがあります。しかし、両者の間に直接の関係はありません。友愛会の創立は1912(大正元)年で、福澤諭吉は1901(明治34)年に亡くなっています。

ではなぜ福澤諭吉は、友愛会ゆかりの人と位置付けられているのでしょうか。それは①友愛会(現連合)がユニテリアン教会・惟一館で、ユニテリアンの鈴木文治により創立されたこと、②そのユニテリアン教会の建設を支えたのが福澤諭吉だということ、③福澤諭吉の「独立自尊」が、ユニテリアン教会の「自己信頼」や友愛会の理念(自由、自主独立、人格の向上)と通底していること、などによります。

福澤諭吉は明治20年、米国ユニテリアン協会(キリスト教の一派)を招聘し、彼らが明治27年にユニテリアン教会(東京・芝、現友愛会館)を建設するのを支えました。もしもユニテリアン教会がなければ、後に鈴木文治が教会職員として働くこともなく、結果として友愛会を創立することもなかったと考えられます。

また、福澤諭吉の「独立自尊」は、鈴木文治に共有され、友愛会の理念「自由、自主独立、人格向上」に大きな影響を与えたと考えられます。友愛会が今日、友愛組合・人格向上主義労働組合と呼ばれるのは、「組合員、労働者の人格の向上」を労働組合の目的・役割としているからです。

繰り返しになりますが、福澤諭吉と友愛会に直接の関係はありません。しかし、友愛労働歴史館は、①福澤諭吉がユニテリアン教会を支え、友愛会誕生の切っ掛けを創ったこと、また②福澤の「独立自尊」が友愛会の理念に通底していること、により福澤諭吉を友愛会ゆかりの人と位置付けているのです。

片山哲著『大衆詩人 白楽天』・同『白楽天―東洋の詩とこころ―』、真鶴の漢詩碑!

友愛労働歴史館が開催中の企画展「戦後民主化のリーダー 片山哲」(2018.1.5~6.29)の主人公、片山哲(1887.07.28~1978.05.30)はクリスチャン、弁護士、政治家として活躍しましたが、一方で東西の古典に通じており、特に中国・唐の詩人・白楽天に傾倒したことはよく知られています。

片山哲は白楽天に関する著書を2冊出版しています。一冊は岩波新書(岩波書店)の『大衆詩人 白楽天』(1956年刊行)、もう一冊は現代教養文庫(社会思想研究会出版部)の『白楽天―東洋の詩とこころ―』(1960年刊行)です。

片山は自ら作詞もしており、真鶴の自然の美しさを詠んだ漢詩「我年来好鶴清浄 黄鶴迎我登霊峰 真鶴飛舞姿景勝 清節守道愛鶴岬」(1968年秋11月 片山哲)の詩碑が、神奈川県・真鶴町の中川一政美術館近くに建立されています。