友愛労働歴史館は先達者のメッセージを読み取り、再発信します!

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〒105-0014 東京都港区芝2-20-12 友愛会館8階

ニュース

桜咲く飛鳥山公園の渋沢史料館、4月5日!

 友愛労働歴史館は74日から企画展「協調会結成100年―友愛会・総同盟との関係を見詰める―」(2019.7.412.24)を開催いたします。その準備の一環で45日(金)、桜咲く東京・北区の飛鳥山公園にある渋沢史料館に行ってきました。

 協調会は大正81919)年に「労使協調のための研究調査・社会事業を行う財団法人」として設立され、1946(昭和21)年に解散しています。渋沢栄一はその協調会の副会長を務め、友愛会・鈴木文治とは1915(大正4)年からの交流が伝えられています。また、協調会と渋沢栄一は、野田醤油労働争議(19271928年)を調停したことでも知られています。友愛労働歴史館は渋沢栄一をゆかりの人とし、展示室に渋沢の肖像画を飾っています。

 渋沢栄一は埼玉県深谷市の生まれで、一橋慶喜の家臣として幕末に活躍。明治維新以後は「民間の立場から約500社にのぼる株式会社、銀行などの設立、経営指導に尽力し、民間外交、社会公共事業に取り組み近代日本の経済社会の基礎を作りました」(案内パンフより)。

 渋沢栄一に興味のある方はぜひ一度、飛鳥山公園にある渋沢史料館を覗いてみてください。隣接する旧渋沢庭園には国指定重要文化財・青淵文庫と同・晩香廬があり、同じ飛鳥山公園には紙の博物館、北区飛鳥山博物館もあります。案内パンフ(一部)を参照してください。

松岡駒吉の肖像画は、2601年の制作!

41日、新しい元号が「令和(れいわ)」と決まりました。友愛労働歴史館がある友愛会館は明治27年のユニテリアン教会・惟一館が前身ですから、明治・大正・昭和・平成と続き、令和(51日)で5代目となります。

ところで当歴史館が所蔵している松岡駒吉(クリスチャン、総同盟会長、全繊同盟会長、日本労働会館理事長、衆議院議長など)の肖像画には、「2601」の制作年が記述されています。最初、見たとき分かりませんでしたが、すぐに皇紀2601年のことと思い至りました。

皇紀とは「日本の紀元を、日本書紀に記す神武天皇即位の年(西暦紀元前660年に当たる)を元号して1872年(明治5)に定めたもの」(広辞苑)で、皇紀2601年は昭和16年・西暦1940年に当たります。

それにしても松岡駒吉は、なぜこのような肖像画を描かせたのでしょうか。長く会長を勤めていた総同盟(戦後の同盟、現在の連合)は、前年(昭和15年)7月に政府の圧力で解散に追い込まれています。特高警察の監視下にあったとされる松岡駒吉、おそらく彼は遺書・遺影の意味で、この肖像画を家族に残したのでしょう。少し寂しげで、厳しい表情ですが、度重なる政府・警察の弾圧にも屈することなく、労働運動一筋に生きた男の強さが感じられ肖像画です。

ユニテリアン教会・惟一館(現友愛会館)建設から125年!

明治22(1889)年、福澤諭吉や金子堅太郎らの招聘により来日した米国ユニテリアン協会のクレイ・マッコーレイ牧師らは明治27(1894)3月25日、東京・芝の地にユニテリアン教会・惟一館(設計・ジョサイア・コンドル)を建設し、標語「至誠・正義・雍穆」を掲げ、自由基督教の活動拠点としました。

ユニテリアン教会は仏教徒を教会長に招き、ブッダ・孔子・ソクラテス・イエスの「四大聖人」画を飾ったとされています。

ユニテリアン教会のメンバーは、後に教会を離れ、①政治・社会運動の分野、②教育や文学、著述の分野に進んでいきました 。①政界に進んだメンバーに小山東助、星島二郎、永井柳太郎、内ヶ崎作三郎、安部磯雄、河上丈太郎、大山郁夫がおり、労働運動に進んだメンバーに鈴木文治、松岡駒吉、市川房枝がいました。

また、学校教育・文学の分野では内藤濯、今岡信一良、岡田哲蔵、帆足理一郎、原一郎、工藤直太郎、三並良、会津常治、武田芳三郎、坪田譲治、吉田絃二郎、沖野岩三郎、一条忠衛、加藤一夫、岸本能武太らがいました。

彼らの進んだ道・方向、思想・立ち位置は、様々であり、幅広いものがあります。しかし、ユニテリアン精神を現実社会に実現しようとした点では共通とされています。それはユニテリアン・ミッションと呼ばれ、「自由の拡張」「社会問題の解決」でした。その拠点がユニテリアン教会・惟一館でした。

 

惟一館では明治31(1898)年、安部磯雄・村井知至らのユニテリアンにより社会主義研究会(後の社会民主党)が創立されました。また、大正元(1912)には鈴木文治(ユニテリアン教会職員)により友愛会(後の総同盟、同盟。現在の連合)が結成されました。このため惟一館(現在の友愛会館)は、日本社会主義運動と日本労働運動の発祥の地とされています。

60年前の三池争議の最中、良識派により三池新労組が誕生、3月17日!

60年前の1960年に起きた三井三池争議は、日本労働運動史に残る大争議であり、また評価の分かれる争議でしょう。1960317日は、三池労組の過激な階級闘争主義を批判した良識派により、三井三池炭鉱新労組が誕生した日です。

支援要請を受けて三池新労を支援した全労(全日本労働組合会議。後の同盟)は、1968年に刊行した『全労10年史』で「三池争議は民主的労働運動と左翼闘争主義の天王山」と記し、「狂気」「不義の闘い」「特異な性格」と批判しています。

また、日産自動車で民主化闘争を行った故山口義男はその著『ひとすじの道』(1980年)で、三池争議の特異性は「三池を包む“宗教的雰囲気”であった。大教祖向坂呪文は絶対であり、狂信的なマルクス教徒による、革命成就への祈祷と祈りは、大牟田の山々を、日向に連なる高千穂の峰をも及ばぬ神秘さで包んでいた」と批判しています。

さらに201439日の日経新聞「熱風の日本史」は、三池争議について「社会主義革命の実験闘争」「三池、闘争至上の誤算」「闘争・社会革命型労働運動の挽歌」と記しています。

三池争議から60年、争議に関する客観的で合理的な研究が進むことを期待したいものです(写真は三池新労を支援した全労の結成大会)。

和田春生の生誕100年、特筆は総評の結成、全労の結成、三池争議の指導!

2019年3月15日は労働運動家・政治家・評論家として活躍した和田春生(1919.3.15~1999.10.17)の生誕100年に当たります。友愛労働歴史館はこれを記念し、開催中の企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.7~06.28)の一部に、本日より「和田春生」コーナー(2019.3.15~4.15)を設けています。

和田春生(1919.3.15~1999.10.17)で特筆すべきは、①総評の結成、②全労の結成、③三池争議の指導でしょう。船乗り、航海士の和田は太平洋戦争で何度も乗船が撃沈され、漂流しています。戦後、海員組合に入り、1950年に総評結成準備会へ出向し、「基本綱領」「規約」を分担執筆するなど、民主的労働組合の総評結成に全力投球します。

しかし、その後の総評の容共化、国際自由労連加盟否決では主流派を厳しく批判。1952年秋の電産・炭労争議の後は、その指導方針を批判した「4単産声明」を取りまとめます。海員組合は全繊同盟、全映演とともに総評を脱退、1954年に再建総同盟とともに全労会議を結成。和田春生は滝田実議長(全繊同盟)とコンビを組み、10年間書記長を務めます。

1960年の三井三池争議では、単なる解雇反対闘争を「社会主義革命の実験闘争」へと変容させた「向坂イズム(労農派マルクス主義)」を批判。闘争至上主義で突っ走る三池労組に対し、支援を求めてきた民主化グループを支えます。

全労を理論面、行動面を支えた和田春生に対し、後に滝田実議長は「あまりに理論が鋭く透徹している」と評しています。和田は『労働運動入門』『労働運動の新時代』などを著し、民主的労働運動の発展に貢献しました。

1969年、民社党公認で衆議院議員に当選。1974年には参議院議員となり、政治家としても活躍。政界引退後は政治評論家・ニュースキャスターとしても活躍しています。1990年10月17日に死去。享年80歳。

成瀬仁蔵(日本女子大創立者)の没後100年、3月4日!

 本日(3月4日)は、成瀬仁蔵(1858.8.21919.3.4)の没後100年。成瀬仁蔵は山口県山口市の出身のキリスト教牧師、教育者で、日本女子大学校(日本女子大学。1901年)の創設者として知られ、大正8(1919)年3月4日に死去しています。享年60歳。3月6日に告別式が行われましたが、これは「成瀬の遺志を尊重し、僧侶・牧師を招かず、葬儀ではなく告別式と称した。以後、『告別式』の語が一般に用いられるはじめとなった」されます。

 成瀬仁蔵は1890(明治23)年、ユニテリアニズムの傾向が強い米国のアンドーバー神学校に留学しますが、この頃、村井知至(後にユニテリアン教会牧師。日本最初の社会主義理論書『社会主義』の執筆者)と知りあい、女子高等教育の抱負を語っています。成瀬は日記に、「吾天職、教員にあらず、牧師にあらず、社会改良者なり、女子教導者なり」と記しています。

 1901(明治34)年4月、43歳の成瀬仁蔵は日本女子大学校を創設しますが、村井知至はその創設を助けるとともに、日本女子大の教授に就任しています。

 成瀬仁蔵は1912(明治45年)年、渋沢栄一・姉崎正治・島田三郎・新渡戸稲造・今岡信一良らと帰一協会を設立しています。帰一協会は「諸宗教・道徳などが、同一の目的に向かって相互理解と協力を推進すること」を目的とした団体とされ、ユニテリアン教会のクレイ・マッコーレイ、今岡信一良も参加しています(成瀬仁蔵の写真は『成瀬仁蔵著作集』第一巻より転載)。

歌人・社会運動家の阿部静枝(生誕120年・没後45年)!

本年2月28日は、歌人・評論家・社会運動家・政治家として知られた阿部静枝(1899.2.28~1974.8.31)の生誕120年です。阿部静枝(旧性二木志つえ)は宮城県の生まれ。東京女子高等師範学校在学中、尾上柴舟に師事し、林うた名で歌誌『水甕』に作品を発表。1923(大正12)年、短歌結社ポトナムに参加しています。

『みやぎの杜の文学者たち』(仙台文学館・1999年)は、阿部静枝を木俣修・石原純・原阿佐緒とともに「こころ熱き歌詠みたち」と呼び、「理知の歌人」と紹介しています。1926(大正15)年に第一歌集『秋草』を刊行。以後、『霜の道』、『冬季』、『野道』、『地中』、そして1974年の『阿部静枝歌集』まで6冊を刊行しています。

戦前、阿部静枝はポトナム同人で活躍する一方、社会民衆党・社会民衆婦人同盟に所属し、婦人解放運動に取り組んでいます。一緒に行動した仲間に赤松明子(吉野作造二女、赤松克麿夫人)や赤松常子(戦後、参議院議員)らがいます。

阿部静枝は戦後もポトナムに所属しつつ、豊島区で区議会議員を務めています。民社党系の日婦の会や同盟系の全国婦人の集い、全国文化運動協会などで活躍。1974年に逝去すると当時の民社党委員長・春日一幸は、以下の弔辞を述べています。

「阿部さん、あなたは歌人として高名であられまし たが、同時に民主社会主義運動の指導者として、 また婦人解放運動の指導者として数多くの業績をのこされました。昭和初期から夫君阿部温知氏とともに社会運動 に挺身され、社会民衆党、社会大衆党、さらに戦後の社会党、民社党を通じ民主社会主義の道一筋を歩んでこられました。短歌を通じて労働組合における文化活動の発展 に寄与すること多大でありました。数多くの労働組合で短歌の指導に当られ、文化活動に対する労働者の目を大きく開いたのであります。また民社党中央機関紙『週刊民社』創刊以来歌壇を担当され、民主社会主義運動に従事する人々に心の糧を与えてくれました。 阿部さん長い間有難うございました。これで永の御別れと致します。安らかにお眠り下さい。」

ユニテリアン教会・惟一館(現友愛会館)の煉瓦塀・煉瓦について!

1月10日(木)と29日(火)の両日、友愛労働歴史館に産業考古学の研究者(慶応義塾大学)が来館され、明治時代に建設されたユニテリアン教会・惟一館(設計者:ジョサイア・コンドル、現在の友愛会館)の煉瓦塀の調査・研究を行いました。そこで惟一館の煉瓦塀や煉瓦について紹介いたします。

福沢諭吉らの招聘により来日した米国ユニテリアン協会のクレイ・マッコーレイ牧師は、1894(明治27)3月、東京・芝の地にユニテリアン教会・惟一館を建設しました。記録によれば惟一館は木造二階建てで、その周囲には煉瓦塀が張り巡らされており、「敷地は丈夫で見栄えの良い壁で囲まれており、壁は約3フィートの高さの石で覆ったレンガと、装飾的な鉄製の上部構造から成っている」とされています。

1912(大正元)年8月、惟一館においてユニテリアン教会の職員・鈴木文治が友愛会(後の総同盟)を創立し、現在の連合につながる労働運動がスタートします。総同盟は1930(昭和5)年8月、惟一館を買収して日本労働会館としますが、この頃には一部の煉瓦塀は撤去され、また「装飾的な鉄製の上部構造」も失われています。惟一館は1945(昭和20)年5月、東京山の手大空襲で焼失します。

戦後、一部の煉瓦塀は残り、総同盟会館・全繊同盟会館時代(1949年~1964年)を経て、友愛会館・三田会館時代(1964年~2009年)まで現存していました(左写真)。しかし、2012年の新しい友愛会館建設により煉瓦塀は全て撤去されました。そして地下から掘り起こされた煉瓦の一部は、「日本労働運動発祥之地」石碑を囲む花壇に再利用されました。また、一部の煉瓦はブロックに切り出され、ユニテリアン教会・惟一館を偲ぶモニュメントとして、「日本労働運動発祥之地」石碑の横に設置されました(右写真)。

メールレポート「友愛労働歴史館たより」第140号を発信しました、1月25日!

 友愛労働歴史館が情報提供のためインターネット上で発信しているメールレポート「友愛労働歴史館たより」第140号(2019.1.25)を、125日に発信しました。今回のメールレポートの内容は、以下の目次の通りです。

<メールレポート「友愛労働歴史館たより」第140号(2019.1.25)>

1.企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」がスタート、17日!

2.「民社OB会総会・結党60年記念の集い」参加者が当館を見学、119日!

3.友愛労働歴史館の1月の見学団体・見学者!

4.ユニテリアン教会・惟一館の赤レンガ塀の調査が行われる、110日!

「民社OB会総会・結党60年記念の集い」参加者が当歴史館を見学、1月19日!

 1960(昭和35)年124日に結成され、1994(平成6)年129日に解散した民社党。その民社党を偲んで毎年、1月に開催されている民社OB会の平成31年度総会が119日(土)12時から友愛会館で開催されました。

 民社党の前身は1926(大正15)年に結党された社会民衆党(社民党。後に社会大衆党、勤労国民党)で、委員長は安部磯雄、書記長は片山哲。当時の中央労働団体の総同盟が全面支援し、鈴木文治・西尾末広・松岡駒吉らが参加していました。

 戦後は日本社会党(片山哲委員長、西尾末広書記長)の結党を主導し、総同盟(松岡駒吉会長)が全面支援をしていました。1947(昭和22)年に片山哲連立内閣を組織し、片山哲が総理大臣、西尾末広が官房長官、松岡駒吉が衆議院議長を務めました。

 1960年に左傾化した日本社会党を飛び出した旧社民系を中心とする人々が民社党(当時は民主社会党。西尾末広委員長・曾禰益書記長)を結成し、中央労働団体である全労会議(1954年結成)・同盟(1964年結成)が支えました。これは大正15年の社会民衆党・総同盟以来の支持・協力関係を引き継いだものです。

 本年は民社党結党から60年(数え年)であり、これを記念して「民社OB会総会・結党60年記念の集い」が開かれ、全国から約70名の人々が参加しました。

 民社OB会総会に先立ち、友愛労働歴史館研修室で11時から「民社党60年記念展」の解説が行われ、当館の間宮悠紀雄事務局長が報告・説明を行いました(写真参照)。その後、参加者は開催中の企画展「民社党結党60年―勤労国民政党の旗を掲げて―」(2018.1.706.28)を見学し、社会民衆党から93年、民社党から60年の「勤労国民政党」の一筋の道に想いを馳せていました。